此岸しがん)” の例文
いったい、仏教では、この現実の世界、すなわち迷える私たちの不自由な世界をば、この岸、すなわち「此岸しがん」といいます。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
獅狂人のごとく彼岸へ飛んだり此岸しがんへ飛んだり何度飛んでも亀が先にいるのでついに飛びじにに死んでしまいました。
発展というものを認めないショオペンハウエルの彼岸哲学が超人を説くニイチェの此岸しがん哲学をも生んだのである。
沈黙の塔 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
式部が此の教義に直接に照らされ現実と理想に距離を感ずれば感ずる程人生の複雑矛盾を発見したことであったろう。嘆きの深さは此岸しがん彼岸ひがんとの距離の幅より来る。
一隊は広瀬川の此岸しがんにおり、敵らしい一隊は広瀬川の対岸の山かげあたりにいる。戦闘が近づくと当方隊の一部は馬から下りて広瀬川の岸に散開して鉄砲を打ちかけた。
三筋町界隈 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
此岸しがんにいる限りはどんなものといえども生滅しょうめつの二からのがれ得ないのである。かくして矛盾や反目や闘争が果しなく続いてくる。何ものも永遠ではない。一切が限界のうちに沈んでしまう。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
それによって此岸しがんの生活が再び肯定せられる。絶えざる「精進」が人生の意義になる。精進を斥け文化の展開を無意義とした弥陀崇拝に対して、これは明らかに人類の文化への信頼の回復である。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
西洋で言って見ると希臘ギリシアの倫理が Platonプラトン あたりから超越的になって、基督クリスト教がその方面を極力開拓した。彼岸に立脚して、馬鹿に神々こうごうしくなってしまって、此岸しがんがお留守になった。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
無上の国といえば何か遥かな彼岸ひがんに在るとも思われるが、実は彼岸が此岸しがんに在るのである。此岸を離れて彼岸はないのである。彼岸こそは此岸の本体なのである。此岸はわずか仮現に過ぎない。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
くだんの男色蛇に似た事日本にもありて、『善庵随筆』に、水中で人を捕り殺すもの一は河童、一はすっぽん、一は水蛇、江戸近処では中川に多くおり、水面下一尺ばかりを此岸しがんより彼岸ひがんへ往くはやのごとし。
生前と死後とを問わず、迷執に囚われた生活は此岸しがんの生活である。従って理想の生をの世からの世に移すことは無意義である。理想の生はここに直ちに実現さるべきものとして存在するのである。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)