松代まつしろ)” の例文
九州では赤間あかま、三河では岡崎、尾張の木賊とくさ、越後の三条、信州では戸狩——殊に戸狩花火は松代まつしろ藩主の真田さなだ侯が自慢なものであった。
銀河まつり (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その晩、文太夫が半蔵や寿平次に取り出して見せた書面は、ある松代まつしろの藩士から借りて写し取って置いたというものであった。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
松代まつしろから出たのだから松代須磨子としようといったら、傍から、まっしろ(真白)須磨子ときこえると茶化したので、それでは松井にしようといった。
松井須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
宿帳にはそうはしるさなかったが、一人は丸山勇仙、一人は仏頂寺弥助、共に信州松代まつしろの人としてある。
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
この年安政四年丁巳の秋、大沼枕山は信州の小布施おぶせ松代まつしろ小諸こもろの各地を遊歴し善光寺に中秋の月を賞した。枕山は小布施の儒者高井鴻山たかいこうざんと以前より交遊があったらしい。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
川は千隈川ちくまがわ、地理書ではひけを取らぬ信濃国しなののくに埴科郡はにしなごおり松代まつしろから、もう一足田舎の西条という所で、富豪と朴直と慈仁と、この三つに隣村までの小作の指を折られる目賀田庄右衛門が一粒種
油地獄 (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
善光寺平には松代まつしろといふ町があります。昔、ここのお殿様は真田さなだといふ方でした。ところが、この松代の殿様はたいへん賢い人で、この方が自分の領地に杏の木を植ゑるのを奨励なさつたのです。
果物の木の在所 (新字旧仮名) / 津村信夫(著)
「白い口髭をはやした六十歳ぐらいのひと……松代まつしろとかいう」
ノア (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
松代まつしろ十萬石じふまんごく世襲せしふして、まつづめ歴々れき/\たり。
十万石 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
この間、沓野くつの村のお帰りに立ち寄られた象山先生——あの松代まつしろの佐久間修理しゅり殿じゃ、そのお方が、媒人なこうどしてとらせるともいうておられる。
銀河まつり (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長州ちょうしゅうはぎの人、吉田松陰よしだしょういんは当時の厳禁たる異国への密航を企てて失敗し、信州松代まつしろの人、佐久間象山さくましょうざんはその件に連座して獄に下ったとのうわさすらある。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
畏堂小林氏と同じく信州松代まつしろの城主真田信濃守幸教さなだしなののかみゆきのりの家臣である。秋航は江戸の儒者西島蘭渓にしじまらんけいの義子で、『湖山楼詩屏風』の言う所によれば、詩賦書画篆刻てんこく等を善くした多芸の才人である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
松代まつしろからやって来たが、これから上方かみがたへ上るのだ」
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
藩の松代まつしろでは、大砲だの小銃、弾薬、科学器械などを、金もないのに買いこんで、毎日、千曲川では、調練兵が、どかん、どかん、ぶっ放していた。
(新字新仮名) / 吉川英治(著)
つれて、秘蔵の愛馬に西洋ぐらか何かで松代まつしろから乗り込んで来た時は、京都人は目をそばだてたものでした。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この信州松代まつしろの城下、長国寺の境内で、藩のお抱え鍛冶かじ荘司直胤しょうじなおたねが主催で、大がかりな刀の「試し」がある。
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
松代まつしろの佐久間先生へ、どうしても、貸さなければならないといって、お父様が出しておけと私にいうのでね」
銀河まつり (新字新仮名) / 吉川英治(著)