朱雀すじゃく)” の例文
兵法へいほうに申す、小河しょうがひがしにあるを田沢でんたくといい、流水りゅうすいみなみにあるを青龍せいりゅうとよび、西に道あるを朱雀すじゃくづけ、北に山あるを玄武げんぶ、林あるを白虎びゃっこしょう
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小村雪岱こむらせったい、木村荘八、河野通勢、鈴木朱雀すじゃく、中一弥、神保朋世などの方々が次々と描いてくれた。
平次と生きた二十七年 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
京の朱雀すじゃく西洞院にしのとういんのあたりの官衙かんがや富豪のやしきですら、われらの眼には、ただもののあわれを誘う人間の心やすめの砂上の楼閣としかうつらぬものを。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それは、洛外ばかりでなく、どうかすると、白昼、玄武や朱雀すじゃくの繁華なちまたでも行われる「稚子攫ちごさらい」のうわさである。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
朱雀すじゃくのあたりで火事のやむのを待っている雑鬧ざっとうの中で見とどけた一輛いちりょう蒔絵輦まきえぐるまが、十人ほどの家の子の打ちふる松明たいまつに守られながら、大路の辻を西へ曲りかけた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その姿は、一団の騎馬にくるまれ、徒歩かちの供僧やら武士やら百人以上な大列だった。それが朱雀すじゃく大路もせましと辺りを払ってゆくさまは、あやしいばかりな威風に見える。
朱雀すじゃく大路おおじと、諸所に勢ぞろいしていた万余の軍勢を一巡閲兵してまわると、ひたいは発汗に濡れて来て、もう彼女の存在など毛穴の一つにもとどめてはいず、完全なる三軍の将義貞だった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遠くからでも明らかに皇居の大内裏だいだいり十二門の一劃とわかる官衙殿堂が、孔雀色くじゃくいろいらか丹塗にぬりの門廊とおぼしき耀かがやきを放ッて、一大聚落じゅらくをなしており、朱雀すじゃく、大宮などを始め、一条から九条までの大路おおじ
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)