掃部頭かもんのかみ)” の例文
* 剛直漢掃部頭かもんのかみ井伊直弼は、安政五年四月、大老職に就くや、矢継早に、反動的な改革を強行して、勤皇の志士の憤激を買つた。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
安政六年十月七日の朝、掃部頭かもんのかみ井伊直弼なおすけは例になく早く登城をして、八時には既に御用部屋へ出ていた。今年になって初めての寒い朝であった。
城中の霜 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
当時幕府に勢力のある彦根ひこねの藩主(井伊いい掃部頭かもんのかみ)も、久しぶりの帰国と見え、須原宿すはらじゅく泊まり、妻籠宿つまごしゅく昼食ちゅうじき、馬籠はお小休こやすみで、木曾路を通った。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
で、井伊掃部頭かもんのかみと酒井左衛門尉さゑもんのじようとが仲に立つて、一万両は綺麗に償つて呉れた。茶人にしても罪人にしても、親切な友達は持つた方が都合のいものだ。
「井伊掃部頭かもんのかみが——御大老が、桜田で、水戸の浪人たちに、やられたってえぞっ」
(新字新仮名) / 吉川英治(著)
立會として井伊掃部頭かもんのかみ直孝、酒井雅樂頭うたのかみ忠世、酒井讚岐守さぬきのかみ忠勝、松平下總守しもふさのかみ忠弘、永井信濃守尚政、青山大膳亮だいぜんのすけ幸利、板倉周防守すはうのかみ重宗、稻葉丹後守正勝、尾張家附成瀬隼人正、紀伊家附安藤帶刀
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
丁度大老井伊掃部頭かもんのかみが桜田の雪と消えた万延元年の秋だったということである、上州の片田舎から参詣に出懸けた講中の一人がお犬さまの姿を拝みたいと思って、供飯の式がすむとこっそり後に残り
奥秩父 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
この「朱雀調べ」の主要な庇護者ひごしゃは、井伊兵部少輔である。兵部少輔直明は、本家掃部頭かもんのかみ直中の弟で、所領は越後国与板二万石。そのとし若年寄になっていた。
風流太平記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
彦根ひこねよりする井伊掃部頭かもんのかみ、名古屋よりする成瀬隼人之正なるせはやとのしょう、江戸よりする長崎奉行水野筑後守ちくごのかみ、老中間部下総守まなべしもうさのかみ、林大学頭だいがくのかみ、監察岩瀬肥後守ひごのかみから、水戸の武田耕雲斎たけだこううんさい
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それがし答て、我は掃部頭かもんのかみ士某、生年十七歳敵ならば尋常に勝負せよと申。かの士存ずる旨あれば名は名乗らじ、我は秀頼の為に命を進ずる間、首取って高名にせよと、首を延べて相待ける。
大阪夏之陣 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
二十九日にはお前、井伊掃部頭かもんのかみの若殿様から彦根ひこねの御藩中まで、御同勢五百人が武士人足共に馬籠のお泊まりさ。伏見屋あたりじゃ十四人もお宿を引き受けるという騒ぎだ。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
所がその夜、井伊掃部頭かもんのかみの陣中にいた女が、つかえおこり譫言うわごとを口走る。
大阪夏之陣 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
十六歳の殿様、家老、用人、その時の同勢はおびただしい人数で、行列も立派ではあったが、もはや先代井伊掃部頭かもんのかみが彦根の城主としてよくこの木曾路を往来したころのような気勢は揚がらない。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)