御遊ぎょゆう)” の例文
「今日はこの辺の地頭や里人さとびとどもが、帝のお慰みにと、さまざまな催しを設けて、お待ちしておりますれば、どうぞ御遊ぎょゆうのお身支度を」
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
往来ゆききしたものはこの附近の山容水色とここの御殿でおすごしになった花やかな御遊ぎょゆうのかずかずではなかったであろうか。
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
しかるに法皇が、四十九日も済まぬうちに八幡に行幸、御遊ぎょゆうあそばされたのは、ひとえに、この清盛、重盛親子を煙たく思われている証拠であろう。
それから宿に行ったら、君たちはわらび採りの御遊ぎょゆうだと聞いたから、みちおそわってやって来たんだ。なに、明日あすは帰らなけりゃならん。邪魔に来たようだな。はッはッ
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
その名前だけでも軽蔑けいべつしてつけられている琴のようですが、宮中の御遊ぎょゆうの時に図書の役人に楽器の搬入を命ぜられるのにも、ほかの国は知りませんがここではまず大和やまと琴が真先まっさきに言われます。
源氏物語:26 常夏 (新字新仮名) / 紫式部(著)
とはいえ、世も一新の平時と帰した今日とすれば、それらの古風な御遊ぎょゆうが復古されたからといって、別条、あやしむことはない。
前栽せんざいつくろはせ給へる頃人々あまた召して御遊ぎょゆうなどありける後定家ていか中納言ちゅうなごんいまだ下﨟げろうなりける時に奉られける
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
那智の滝に、山の嵐に鍛えた彼の声には、繊細を尊しとした温室育ちの殿上人の声などはひとたまりもなかった。たちまち朗詠の声は消され、調子は狂い、拍子は乱れた。御遊ぎょゆうは中断した。
帝も御遊ぎょゆうのたびに故人を恋しく思召されるのであった。
源氏物語:38 鈴虫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
あるじの成輔の使いで、再々、垣間見かいまみあっていた相思のふたりは、やがて、北山殿の花の御遊ぎょゆうの折、花の下で結ばれた。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
此の敦忠が天慶六年に早世そうせいしてからは、禁中で管絃の御遊ぎょゆうがある時は博雅三位がなくてはならない人になり、三位に差支えがあるとその日の御遊を中止し給うようになったが
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
みょう六月二十二日、衣笠きぬがさなる北山殿へ、蛍狩りの御遊ぎょゆうと、つとに御内定をみております。もとよりこれは、西園寺家から特に臨幸を仰いだもので」
と、元弘元年の北山御遊ぎょゆうのおはなしが出たのである。その平和な一日の楽しさ、尊さ。顕家にも忘れられない。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、毎日が行事ぎょうじの式やら御遊ぎょゆうであった。遠い王朝の頃とくらべれば、ずいぶん略されてはいても、二条内裏の諸門は飾りきそう車馬の群れで朝夕、霞立かすみたつばかりであった。
かくて、つきぬ御遊ぎょゆうの後、お帰りとなったのは、夜もほの明けていた頃だった。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御遊ぎょゆう終日ひねもすにおよび。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)