廃址はいし)” の例文
旧字:廢址
小なる者は長添ながそえ山と為す、松倉伊賀の廃址はいしなり。山川の間人戸一千、士農あり、工商ありと。これ彼がみずから語れる故郷の光景なり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
溝渠こうきょ廃址はいしの赤黒い迫持せりもちの下には白巴旦杏しろはたんきょうが咲いていた。よみがえったローマ平野の中には、草の波と揚々たる罌粟けしの炎とがうねっていた。
しかし私の好んで日和下駄を曳摺る東京市中の廃址はいしは唯私一個人にのみ興趣を催させるばかりで容易にその特徴を説明することの出来ない平凡な景色である。
いつも人を食う奴は勢き歯弱れる老虎で村落近く棲み野獣よりも人を捉うるを便とす、草野と沼沢に棲む事多きも林中にも住み、また古建築の廃址はいしに居るを好く
葉子は忘却ぼうきゃく廃址はいしの中から、生々なまなまとした少年の大理石像を掘りあてた人のようにおもしろがった。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
聖書を以てユダヤ思想の廃址はいしと見るは大なる誤謬である。そのしからざるを証するものは少なくないが、ヨブ記の如きはその最たるものである。さればヨブ記は特に普遍的の書物である。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
あそこには廃址はいしや、カシワの森や、むかしの言いつたえがあったわね。それから、エム川の流れている、あの谷も思いだしてごらん。村や、製粉所せいふんじょや、製材所せいざいしょや、指物工場さしものこうじょうがあったでしょう!
現代ローマの気障きざな建築物中における、古代殿堂の廃址はいしのように、それは近代の工芸品の中にそびえ立っていた。
丁度焼跡の荒地あれちに建つ仮小屋の間を彷徨さまようような、明治の都市の一隅において、われわれがただ僅か、壮麗なる過去の面影に接し得るのは、この霊廟、この廃址はいしばかりではないか。
霊廟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
また、どろで赤く濁ってあたかも土地が歩き出してるようなテヴェレ河のほとり——大洪水だいこうずい以前の怪物の巨大な背骨みたいな溝渠こうきょ廃址はいしに沿って、広漠こうばくたるローマ平野の中をさまようた。