常世トコヨ)” の例文
駿河ではやつた常世トコヨ神(継体紀)、九州から東漸した八幡の信仰の模様は、新神の威力が、如何に人々の心を動したかを見せて居る。
国文学の発生(第二稿) (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
常世トコヨと称する異郷から、「まれびと」と言ふべき異人が週期的に、此くにを訪れたのである。さうしてその都度、儀礼と呪詞とを齎らした。
私は、大正九年の春の国学院雑誌に「ハヽが国へ・常世トコヨへ」と言ふ小論文を書いた。其考へ方は、今からは恥しい程合理式な態度であつた。
信太妻の話 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
常世トコヨと言ふ語の、記・紀などの古書に出た順序を、直様すぐさま意義分化の順序だ、との早合点に固執して貰うて居ては、甚だお話がしにくいのである。
妣が国へ・常世へ (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
ともあれ、海のあなたに、常世トコヨの国を考へる様になつてからの新しい民譚が、古い人々の上にかけられて居ることが多いのだ、とさう思ふのである。
妣が国へ・常世へ (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
過ぎ来た方をふり返るハヽが国の考へに関して、別な意味の、常世トコヨの国のあくがれが出て来た。ほんとうの異郷趣味(えきぞちしずむ)が、始まるのである。
妣が国へ・常世へ (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
其神の常在る国を、大空に観じては高天タカマハラと言ひ、海のあなたと考へる村人は、常世トコヨの国と名づけて居た。
顕宗紀の室寿詞は「我が常世トコヨたち」の文句を結んでゐます。此は、正客なる年高人トシタカビトを讃頌した語なのです。
翁の発生 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
靈液クシカミ常世トコヨ少彦名スクナヒコナとする處から見ても、まれびとによつて酒ほかひが行はれると見たことが知れる。
実の処、をこがましくも、春の鬼・常世トコヨのまれびと・ことぶれの神を説いてゐる私の考へも、曾て公にせられた先生の理論から、ひき出して来たものでありました。
翁の発生 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
志を賓客の納受した表出を見たいと望むのである。とこよたちは、長寿者たちの義で、第一義の常世トコヨの国は、富と、命と、恋の浄土とせられた古代の理想国である。
日本文学の発生 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
常世トコヨの国から来るものをまれびとと呼んだ民間伝承の雁の上にも及んだものと考へられるのである。
おもひかねの命を古事記には又、常世トコヨ思金神とも伝へてゐる。呪言の創始者は、古代人の信仰では、高天原の父神・母神とするよりも、古い形があつた様である。
この御酒ミキは、吾が御酒ミキならず。くしの神 常世トコヨイマす いはたゝす すくな御神ミカミの、神寿カムホキ 寿きくるほし、豊ほき 寿モトほし、まつりし御酒ぞ。あさずせ。さゝ(仲哀記)
村々の祭り (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
だから常世トコヨ思金オモヒカネカミといふ名も、呪言の神が常世から来るとした信仰の痕跡だと言へよう。田植ゑ時に考・妣二体或は群行グンギヤウの神が海から来た話は、播磨風土記に多く見えて居る。
而もその呪詞は、此くにに生れ出たものとは、古代においては、考へられては居なかつた。即、古代人の所謂海阪ウナザカの、彼方にあるとした常世トコヨの国から齎されたもの、と考へたのである。
日本文学の発生 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
海の神が、元、海の彼方の常世トコヨの国の神であつた事は、既に、他に述べた事がある。
村々の祭り (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
時天照大神誨倭姫命曰、是、神風伊勢国則、常世トコヨナミ重浪帰国也シキナミヨスルクニナリ傍国可怜国也カタクニノウマシクニナリ。欲是国。故随大神教其祠立於伊勢国。因興斎宮于五十鈴川上。是謂磯宮
私の話はまれびとと「常世トコヨの国」との関係を説かねばならなくなつた。
古代生活の研究:常世の国 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
第一に「大祓へ」が、六月と十二月の晦日ツゴモリに行はれる様になつたのに目をつけてほしい。遠い海の彼方なる常世トコヨの国に鎮る村の元祖以来の霊の、村へ戻つて来るのが、年改まる春のしるしであつた。
若水の話 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
殊に鵠と雁とは、寿福の楽土なる常世トコヨ国の鳥として著れてゐた。
万葉集研究 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
くしのかみ 常世トコヨにいます