トップ
>
宛城
>
えんじょう
ふりがな文庫
“
宛城
(
えんじょう
)” の例文
百万の軍旅は、いま河南の
宛城
(
えんじょう
)
(南陽)まで来て、近県の糧米や軍需品を徴発し、いよいよ進撃に移るべく、再整備をしていた。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「魏王
曹叡
(
そうえい
)
が、
宛城
(
えんじょう
)
へ勅使を馳せつかわして、閑居の
司馬懿
(
しばい
)
仲達を
平西
(
へいせい
)
都督に封じ、
強
(
た
)
って彼の
出廬
(
しゅつろ
)
を促しているもようにうかがわれます」
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と、朱雋の軍六万は、
宛城
(
えんじょう
)
(湖北省・荊門県附近)へ迫って行った。そこには、黄巾の残党、
孫仲
(
そんちゅう
)
・
韓忠
(
かんちゅう
)
・
趙弘
(
ちょうこう
)
の三賊将がたて籠っていた。
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
張繍は諸州の敗残兵を一手に寄せて、追々と勢威を加え、また、謀士
賈詡
(
かく
)
を参謀とし、
荊州
(
けいしゅう
)
の太守
劉表
(
りゅうひょう
)
と軍事同盟をむすんで、
宛城
(
えんじょう
)
を根拠としていた。
三国志:04 草莽の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この大敗北は、やがて
宛城
(
えんじょう
)
にいる曹操の耳に達した。曹操は、すべてが孔明の指揮にあったという敗因を聞いて
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
大将軍の
朱雋
(
しゅしゅん
)
も
皇甫嵩
(
こうほすう
)
も、賊軍を追いせばめて、遠く河南の曲陽や
宛城
(
えんじょう
)
方面へ移駐しているとのことであった。
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
聞説
(
きくならく
)
、いま司馬懿は、郷里の
宛城
(
えんじょう
)
に閑居しておるとか、あの大英才を国家が埋れ木にしている法はありません。よろしく、今日こそ、お召し出しあるべきでございます
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
郷里
宛城
(
えんじょう
)
の田舎に
引籠
(
ひきこも
)
っていた
司馬懿
(
しばい
)
仲達は、退官ののちは、まったく閑居の
好々爺
(
こうこうや
)
になりすまし、兄司馬
師
(
し
)
、弟司馬
昭
(
しょう
)
のふたりの息子あいてに、至極うららかに生活していた。
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「今は、後顧の憂いもない」と、大軍を催して、
夏侯惇
(
かこうじゅん
)
を先鋒として、
宛城
(
えんじょう
)
へ進発した。
三国志:04 草莽の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
曹操はなおその総軍司令部を
宛城
(
えんじょう
)
において、情勢を大観していたが、曹仁、曹洪を大将とする先鋒の第一軍十万の兵は、
許褚
(
きょちょ
)
の精兵三千を加えて、その日すでに、新野の郊外まで殺到していた。
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
むかし
濮陽
(
ぼくよう
)
に
呂布
(
りょふ
)
を攻めて呂布にもてあそばれ、
宛城
(
えんじょう
)
に
張繍
(
ちょうしゅう
)
と戦うて敗走し、また赤壁に
周瑜
(
しゅうゆ
)
を恐れ、
華容
(
かよう
)
に関羽に遭って
泣訴
(
きゅうそ
)
して命を助かり、なおなお、近くは
渭水
(
いすい
)
潼関
(
どうかん
)
の合戦に、
髯
(
ひげ
)
を切り
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
伏牛山脈をこえてくる黄塵は、早くも南陽の
宛城
(
えんじょう
)
から望まれた。
三国志:04 草莽の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「一挙に」と、
宛城
(
えんじょう
)
へ迫った。
三国志:02 桃園の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“宛城(宛城区)”の解説
宛城区(えんじょう-く)は中華人民共和国河南省南陽市に位置する市轄区。
(出典:Wikipedia)
宛
常用漢字
中学
部首:⼧
8画
城
常用漢字
小4
部首:⼟
9画
“宛”で始まる語句
宛
宛然
宛名
宛行
宛嵌
宛転
宛如
宛字
宛子
宛子城