墓碣ぼけつ)” の例文
墓碣ぼけつと云い、紀念碑といい、賞牌しょうはいと云い、綬賞じゅしょうと云いこれらが存在する限りは、むなしき物質に、ありし世をしのばしむるの具となるに過ぎない。
倫敦塔 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それはその頃へんある寺に残っていた墓碣ぼけつの中で、寺が引払いにならないうちに、是非とも撮影して置きたいと思っていたものがあったためで。
勲章 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
霞亭の葬られた寺の事、北条氏の継嗣の事等であつただらう。巣鴨の真性寺に、頼山陽の銘を刻した墓碣ぼけつの立てられたのは、此より後九年であつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
月こそ変れ、先君内匠頭の命日である上に、今生こんじょうの名残りというので、大石内蔵助を始め十余名の同志は、かねての牒合しめしあわせに従って、その日早く高輪泉岳寺にある先君の墓碣ぼけつに参拝した。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
使徒と聖母とは不便ふびんなる人類のために憐を乞はんとて手をさし伸べたり。死人は墓碣ぼけつを搖り上げてたんとす。惠に逢へる精靈は拜みつゝ高くかけり、地獄はそのあぎとを開いて犧牲を呑めり。
高いところで、見るともなしに見ているお角の耳へは、無論この二人の問答は入りませんが、満地の墓碣ぼけつの間にただ二人だけが、低徊ていかいして去りやらぬ姿は、手に取るように見えるのであります。
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
しかし錦橋のために立てられた石は、独り嶺松寺の墓碣ぼけつのみではなかつた。わたくしは黄檗山に別に錦橋の碑のあることを聞いた。そして其石面に何事が刻してあるかを知らむと欲した。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
今わたくしがこれにならって、死後に葬式も墓碣ぼけつもいらないと言ったなら、生前自ら誇って学者となしていたと、誤解せられるかも知れない。それ故わたくしは先哲の異例に倣うとは言わない。
西瓜 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
大凡おほよそ改葬の名のもとに墓石を處分するは、今の寺院の常習である。そして警察はいてこれを問はない。明治以降所謂改葬を經て、踪迹そうせきの尋ぬべからざるに至つた墓碣ぼけつは、その幾何いくばくなるを知らない。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
警視庁は廃寺等のために墓碣ぼけつを搬出するときには警官を立ち会わせる。しかしそれは有縁うえんのものに限るので、無縁のものはどこの共同墓地に改葬したということを届けでさせるにとどまるそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)