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嘉吉
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かきつ
ふりがな文庫
“
嘉吉
(
かきつ
)” の例文
嘉吉
(
かきつ
)
の土一揆、民衆の強要による一国平均の
沙汰
(
さた
)
は、彼の三十九歳の時のことで、民衆の運動は彼の熟知していたところであるが
埋もれた日本:――キリシタン渡来文化前後における日本の思想的情況――
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
祖父は
播磨
(
はりま
)
の
国
(
くに
)
の
赤松氏
(
あかまつうじ
)
に仕えていたが、去る
嘉吉
(
かきつ
)
元年の乱に、赤松氏の城を去って、この地にやってきて、それから庄太夫にいたるまで三代の間
雨月物語:02 現代語訳 雨月物語
(新字新仮名)
/
上田秋成
(著)
後醍醐
(
ごだいご
)
天皇の
延元
(
えんげん
)
元年以来五十余年で
廃絶
(
はいぜつ
)
したとなっているけれども、そののち
嘉吉
(
かきつ
)
三年九月二十三日の
夜半
(
やはん
)
、
楠
(
くすのき
)
二郎正秀と云う者が
大覚寺統
(
だいかくじとう
)
の親王
万寿寺宮
(
まんじゅじのみや
)
を
奉
(
ほう
)
じて、急に
土御門
(
つちみかど
)
内裏
(
だいり
)
を
襲
(
おそ
)
い
吉野葛
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
祖父
(
おほぢ
)
は
播磨
(
はりま
)
の
一四
赤松に仕へしが、
去
(
さ
)
んぬる
一五
嘉吉
(
かきつ
)
元年の
乱
(
みだれ
)
に、
一六
かの
館
(
たち
)
を去りてここに来り、庄太夫にいたるまで
三代
(
みよ
)
を
経
(
へ
)
て、
一七
春
耕
(
たがや
)
し、秋
収
(
をさ
)
めて、家
豊
(
ゆた
)
かにくらしけり。
雨月物語:02 現代語訳 雨月物語
(新字新仮名)
/
上田秋成
(著)
一書によると、王のお
歳
(
とし
)
は十八
歳
(
さい
)
であったと云われる。また、
嘉吉
(
かきつ
)
の乱にいったん
滅亡
(
めつぼう
)
した赤松の家が再興されたのは、その時南朝の二王子を
弑
(
しい
)
して、神璽を京へ取り
戻
(
もど
)
した功績に報いたのであった。
吉野葛
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
“嘉吉”の意味
《固有名詞》
日本の元号の一つ。永享の次で、文安の前。1441年2月17日から1444年2月5日までの期間のこと。
(出典:Wiktionary)
嘉
漢検準1級
部首:⼝
14画
吉
常用漢字
中学
部首:⼝
6画
“嘉”で始まる語句
嘉
嘉永
嘉納
嘉助
嘉十
嘉代
嘉賞
嘉兵衛
嘉明
嘉瑞