元祿げんろく)” の例文
新字:元禄
奴と名乘つた男女の侠客に、元祿げんろくの奴の小萬と、のちに奴の治兵衞といふのがある。小萬は大阪長堀に生れ、木津家といふ豪家の娘だつたといふ。
凡愚姐御考 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
一兩小判はざつと四匁、元祿げんろく以前の良質のものは、今の相場にして骨董こつとう値段を加へると何萬圓といふことになるでせう。
銭形平次捕物控:274 贋金 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
定められ十二月二日より評定所に於て役々寄合あり夫より毎月二日十二日廿二日を定日とせられ元祿げんろく二巳年八月廿五日より必ず御目付めつけは立合事に相成しなりされば此日も老若方らうにやくがた
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
こゝ播州ばんしう赤穗あかほ城主じやうしゆ淺野内匠頭殿あさのたくみのかみどの家臣かしん大石内藏助おほいしくらのすけはじ忠義ちうぎ面々めん/\元祿げんろく十五年十二月十四日吉良上野介殿きらかうずけのすけどのやしき討入うちいりきはまり同月十日に大石内藏助は小山田庄左衞門をやまだしやうざゑもんまね同志どうし人々ひと/″\家内かない
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
文身ほりものといふのは、もとは罪人の入墨いれずみから起つたとも、野蠻人やばんじん猛獸脅まうじうおどしから起つたとも言ひますが、これが盛んになつたのは、元祿げんろく以後、特に實暦はうれき、明和、寛政くわんせいと加速度で發達したもので
抑々そも/\久八はさんぬ元祿げんろくころ京都きやうと丸山通りに安養寺あんやうじと云大寺有り其門前町に住て寺社じしや巨商等きよしやうとうへ出入を爲す割烹人れうりにん吉兵衞と云者いまだ獨身どくしんゆゑつますゝむる者の多かりしがやが良縁よきえん有てお久とよばる女を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)