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信玄
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しんげん
ふりがな文庫
“
信玄
(
しんげん
)” の例文
なるほど、さすが
信玄
(
しんげん
)
の
孫
(
まご
)
だけあって、その
眼力
(
がんりき
)
はたしかだ。しかしわずか七十人や八十人の
小勢
(
こぜい
)
をもって、
人穴城
(
ひとあなじょう
)
がなんで落ちよう。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
三万余騎の軍をひっさげた武田
信玄
(
しんげん
)
は、
天龍
(
てんりゅう
)
のながれを渡って、
大菩薩
(
だいぼさつ
)
(
浜名郡
(
はまなごおり
)
有玉村
(
ありたまむら
)
)より
三方原
(
みかたがはら
)
にせまった。
死処
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
只富貴をもて論ぜば、
信玄
(
しんげん
)
がごとく
智謀
(
はかりごと
)
は
百
(
もも
)
が百
的
(
あた
)
らずといふ事なくて、
一三九
一生の威を三国に
震
(
ふる
)
ふのみ。しかも名将の聞えは世
挙
(
こぞ
)
りて
賞
(
しやう
)
ずる所なり。
雨月物語:02 現代語訳 雨月物語
(新字新仮名)
/
上田秋成
(著)
慧林寺は武田
信玄
(
しんげん
)
がどうとかしたという由来つきの有名な寺で、そこにはたくさんのお坊さんがいた。叔父はその寺から小学校に通いながらお坊さんの修業をした。
何が私をこうさせたか:――獄中手記――
(新字新仮名)
/
金子ふみ子
(著)
諏訪法性
(
すはほつしやう
)
の
兜
(
かぶと
)
を
被
(
かぶ
)
つた、
信玄
(
しんげん
)
の
猩々
(
しやう/″\
)
の如き頭へ斬り付けようとしてゐる
謙信
(
けんしん
)
の眼は、皿のやうに眞ん
圓
(
まる
)
く、振り上げた刀は馬よりも長くて、信玄の持つてゐる
軍配
(
ぐんばい
)
は細く弱さうで
東光院
(旧字旧仮名)
/
上司小剣
(著)
▼ もっと見る
信玄
(
しんげん
)
の歌に
自警録
(新字新仮名)
/
新渡戸稲造
(著)
それでも、伊那丸は悲しい顔はしなかった。幼少からうけた
快川和尚
(
かいせんおしょう
)
の
訓育
(
くんいく
)
と、祖父
信玄
(
しんげん
)
の血は、この少年のどこかに流れつたわっていた。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
碓氷の合戦は
甲軍
(
こうぐん
)
の大勝となって、敵将の
憲政
(
のりまさ
)
の首まであげたので、
以来
(
いらい
)
、
信玄
(
しんげん
)
はその
鷲
(
わし
)
を
館
(
やかた
)
にもちかえり、愛育していた。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ひそかに、拙者は、
北越
(
ほくえつ
)
の
謙信
(
けんしん
)
をもって任じ、徳川どのは、まさに当代の
信玄
(
しんげん
)
にも比すべき人物と信じておるんじゃ。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
甲州武田は、常に、織田家にとって、背すじの寒い脅威だったが、その武田家と縁談が結ばれて、
信玄
(
しんげん
)
の第四子
勝頼
(
かつより
)
へ、信長の
女
(
むすめ
)
が近く嫁ぐことに運ばれていた。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“信玄(
武田信玄
)”の解説
武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏第19代当主。武田氏の第16代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。正式な姓名は、源 晴信(みなもと の はるのぶ)。表記は、「源朝臣武田信濃守太郎晴信」。「信玄」とは(出家後の)法名で、正式には徳栄軒信玄。
(出典:Wikipedia)
信
常用漢字
小4
部首:⼈
9画
玄
常用漢字
中学
部首:⽞
5画
“信玄”で始まる語句
信玄袋
信玄公
信玄沢
信玄流
信玄畷
信玄以来
信玄入道