信玄しんげん)” の例文
なるほど、さすが信玄しんげんまごだけあって、その眼力がんりきはたしかだ。しかしわずか七十人や八十人の小勢こぜいをもって、人穴城ひとあなじょうがなんで落ちよう。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三万余騎の軍をひっさげた武田信玄しんげんは、天龍てんりゅうのながれを渡って、大菩薩だいぼさつ浜名郡はまなごおり有玉村ありたまむら)より三方原みかたがはらにせまった。
死処 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
只富貴をもて論ぜば、信玄しんげんがごとく智謀はかりごとももが百あたらずといふ事なくて、一三九一生の威を三国にふるふのみ。しかも名将の聞えは世こぞりてしやうずる所なり。
慧林寺は武田信玄しんげんがどうとかしたという由来つきの有名な寺で、そこにはたくさんのお坊さんがいた。叔父はその寺から小学校に通いながらお坊さんの修業をした。
諏訪法性すはほつしやうかぶとかぶつた、信玄しんげん猩々しやう/″\の如き頭へ斬り付けようとしてゐる謙信けんしんの眼は、皿のやうに眞んまるく、振り上げた刀は馬よりも長くて、信玄の持つてゐる軍配ぐんばいは細く弱さうで
東光院 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
信玄しんげんの歌に
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
それでも、伊那丸は悲しい顔はしなかった。幼少からうけた快川和尚かいせんおしょう訓育くんいくと、祖父信玄しんげんの血は、この少年のどこかに流れつたわっていた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
碓氷の合戦は甲軍こうぐんの大勝となって、敵将の憲政のりまさの首まであげたので、以来いらい信玄しんげんはそのわしやかたにもちかえり、愛育していた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひそかに、拙者は、北越ほくえつ謙信けんしんをもって任じ、徳川どのは、まさに当代の信玄しんげんにも比すべき人物と信じておるんじゃ。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
甲州武田は、常に、織田家にとって、背すじの寒い脅威だったが、その武田家と縁談が結ばれて、信玄しんげんの第四子勝頼かつよりへ、信長のむすめが近く嫁ぐことに運ばれていた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)