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俊基
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としもと
ふりがな文庫
“
俊基
(
としもと
)” の例文
車のうちで、
俊基
(
としもと
)
は居眠っていたらしい。おそらく、一昨夜来の宮廷では、彼のみならず、
帝
(
みかど
)
をめぐって、不眠の
凝議
(
ぎょうぎ
)
だったであろう。
私本太平記:02 婆娑羅帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それは太平記の
俊基
(
としもと
)
関東
下向
(
げこう
)
のくだりで、「路次にて失わるるか、鎌倉にて斬らるるか、二の間をはなれじと思いもうけてぞ、いでられける」
樅ノ木は残った:03 第三部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
日野資朝卿は佐渡の地で、
俊基
(
としもと
)
卿は鎌倉の地で、つい最近首を斬られてしまった。……
大塔宮様
(
だいとうのみやさま
)
は赤坂の城へ、ご入城遊ばしてお遁がれじゃ。
あさひの鎧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
天皇は、後の三房と云はれた
万里小路宣房
(
までのこうぢのぶふさ
)
、吉田定房、
北畠親房
(
きたばたけちかふさ
)
の三名臣を初め、
日野資朝
(
ひのすけとも
)
、日野
俊基
(
としもと
)
等の英才を起用せられ、鋭意諸政を改め給うたので、中興の気運勃々たるものがあつた。
二千六百年史抄
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
俊基
(
としもと
)
東下
(
あづまくだ
)
りは、私などが少年時代に
天竜川
(新字旧仮名)
/
小島烏水
(著)
▼ もっと見る
かつての
正中
(
しょうちゅう
)
ノ変の犠牲者、日野資朝や
俊基
(
としもと
)
らとは、多年、その理想を一つにしてきた少壮公卿のひとりである。
私本太平記:05 世の辻の帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そうだ、涌谷へゆく途中、湯ノ原の宿で会い、
俊基
(
としもと
)
関東
下向
(
げこう
)
のくだりを聞いたのだ。
樅ノ木は残った:04 第四部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
褊
(
すずし
)
一枚着たばかりの、だから体がまると見えている、そういう
白拍子
(
しらびょうし
)
と戯むれているのは、右少弁藤原
俊基
(
としもと
)
であり、縁先に立って庭を見ながら、これも素肌に
褊
(
すずし
)
一枚の、
遊君
(
ゆうくん
)
に何か
囁
(
ささや
)
いているのは
あさひの鎧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
抱き入れるおつもりだったか、そこもとは、日野
俊基
(
としもと
)
朝臣
(
あそん
)
との大事な秘密を打明けた。かつ、朝廷に、幕府討伐のもくろみが密々はこばれているともいわれた
私本太平記:07 千早帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「やあ、
粗忽
(
そこつ
)
粗忽
(
そこつ
)
。これは日野ノ
右少弁
(
うしょうべん
)
俊基
(
としもと
)
でおざるが、火急
参内
(
さんだい
)
の大事なあって、余りに牛に
鞭
(
むち
)
打
(
う
)
たせたため、つい、牛の狂いに従者も力およばずこの失態……。ゆるされよ」
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
とも知らず、この朝、
当
(
とう
)
の日野
俊基
(
としもと
)
は、
元結
(
もとい
)
を解いて、菊王に髪を結わせていた。
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
また去年——高氏が羅刹谷から鎌倉へ帰る折には、日野
俊基
(
としもと
)
の美しい若後家、小右京の身を高氏から預かって、ここへ連れて来、ひそかに、彼女の身もこの家に頼んでおいてあるのだった。
私本太平記:07 千早帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
すぐ前月の六月には、六波羅からこの鎌倉表へ、——日野
俊基
(
としもと
)
をはじめ、宮方陰謀の重大犯とみなさるる僧の
文観
(
もんかん
)
、忠円、
知教
(
ちぎょう
)
、
遊雅
(
ゆうが
)
、
円観
(
えんかん
)
など——あまたな縄付がぞくぞく
押送
(
おうそう
)
されていた。
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
俊
常用漢字
中学
部首:⼈
9画
基
常用漢字
小5
部首:⼟
11画
“俊基”で始まる語句
俊基朝臣
俊基卿