俊基としもと)” の例文
車のうちで、俊基としもとは居眠っていたらしい。おそらく、一昨夜来の宮廷では、彼のみならず、みかどをめぐって、不眠の凝議ぎょうぎだったであろう。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それは太平記の俊基としもと関東下向げこうのくだりで、「路次にて失わるるか、鎌倉にて斬らるるか、二の間をはなれじと思いもうけてぞ、いでられける」
日野資朝卿は佐渡の地で、俊基としもと卿は鎌倉の地で、つい最近首を斬られてしまった。……大塔宮様だいとうのみやさまは赤坂の城へ、ご入城遊ばしてお遁がれじゃ。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
天皇は、後の三房と云はれた万里小路宣房までのこうぢのぶふさ、吉田定房、北畠親房きたばたけちかふさの三名臣を初め、日野資朝ひのすけとも、日野俊基としもと等の英才を起用せられ、鋭意諸政を改め給うたので、中興の気運勃々たるものがあつた。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
俊基としもと東下あづまくだりは、私などが少年時代に
天竜川 (新字旧仮名) / 小島烏水(著)
かつての正中しょうちゅうノ変の犠牲者、日野資朝や俊基としもとらとは、多年、その理想を一つにしてきた少壮公卿のひとりである。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そうだ、涌谷へゆく途中、湯ノ原の宿で会い、俊基としもと関東下向げこうのくだりを聞いたのだ。
すずし一枚着たばかりの、だから体がまると見えている、そういう白拍子しらびょうしと戯むれているのは、右少弁藤原俊基としもとであり、縁先に立って庭を見ながら、これも素肌にすずし一枚の、遊君ゆうくんに何かささやいているのは
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
抱き入れるおつもりだったか、そこもとは、日野俊基としもと朝臣あそんとの大事な秘密を打明けた。かつ、朝廷に、幕府討伐のもくろみが密々はこばれているともいわれた
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「やあ、粗忽そこつ粗忽そこつ。これは日野ノ右少弁うしょうべん俊基としもとでおざるが、火急参内さんだいの大事なあって、余りに牛にむちたせたため、つい、牛の狂いに従者も力およばずこの失態……。ゆるされよ」
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とも知らず、この朝、とうの日野俊基としもとは、元結もといを解いて、菊王に髪を結わせていた。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また去年——高氏が羅刹谷から鎌倉へ帰る折には、日野俊基としもとの美しい若後家、小右京の身を高氏から預かって、ここへ連れて来、ひそかに、彼女の身もこの家に頼んでおいてあるのだった。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すぐ前月の六月には、六波羅からこの鎌倉表へ、——日野俊基としもとをはじめ、宮方陰謀の重大犯とみなさるる僧の文観もんかん、忠円、知教ちぎょう遊雅ゆうが円観えんかんなど——あまたな縄付がぞくぞく押送おうそうされていた。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)