会読かいどく)” の例文
実用もない原書の緒言ちょげんとか序文とか云うような者を集めて、最上等の塾生だけで会読かいどくをしたり、又は先生に講義をねがったこともある。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
き大いにその妙を得、大抵両三人、同じく上り、会読かいどくしながらこれをき、『史記』など二十四葉読む間に米しろおわる、また一快なり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
これを会読かいどくといいますが、わからないところがあっても、だれにもきくことはできません。
自身自力の研究さてその写本の物理書、医書の会読かいどく如何どうするかと云うに、講釈の為人してもなければ読んで聞かしてれる人もない。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
必ず御案じ下されまじく候えども、はなはだ壮なり。隔日『左伝』『八家』会読かいどく。勿論塾中常居、七ツ過ぎ会読終る。それより畠または米き、在塾生とこれを同じうす。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
会読かいどくは、毎月まいつききまったに六かいぐらいおこなわれました。よくできたひとにはしろまる、できなかったひとにはくろまる、わりあてられた文章ぶんしょうがぜんぶできたものには、しろい三かくのしるしをつけます。
会読かいどくは一六とか三八とか大抵たいてい日がきまって居て、いよ/\明日あすが会読だと云うその晩は、如何いか懶惰らいだ生でも大抵寝ることはない。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
米をきながら会読かいどくするの先生あれば、ぬかふるいながら講義を聞く生徒もあるべし。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
まずこれを独学の手始てはじめとす。かつまた会読かいどくは入社後三、四ヶ月にて始む。これにて大いに読書の力を増すべし。
慶応義塾新議 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)