久米正雄くめまさを)” の例文
しかし誰もに受けない。久米正雄くめまさをの如きはにやにやしながら、「菊池寛きくちくわんが弱気になつてね」などと大いに僕を嘲弄てうろうしたものである。
良人りやうじん久米正雄くめまさをならずとも、おもはず微苦笑びくせうせずにはゐられない。
麻雀を語る (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
僕は以前久米正雄くめまさをと、この俊寛しゆんくわんの芝居を見た。俊寛は故人段四郎だんしらう千鳥ちどり歌右衛門うたゑもん基康もとやす羽左衛門うざゑもん、——他は記憶に残つてゐない。
澄江堂雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
問 佐藤春夫さとうはるを氏は風流を感覚だと云ひ、久米正雄くめまさを氏はそれを意志だと云つて居ますが、それにいてのお考は如何いかがでせうか。
東西問答 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
僕等は皆福間先生に或親しみをいだいてゐた。それは先生も青年のやうに諧謔かいぎやくを好んでゐられたからである。先生は一学期の或時間に久米正雄くめまさをにかう言はれた。
二人の友 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
大正十四年の夏、僕は菊池寛きくちひろし久米正雄くめまさを植村宋一うゑむらそういち中山太陽堂なかやまたいやうだう社長などと築地つきぢ待合まちあひに食事をしてゐた。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
その他菊池寛きくちくわん久米正雄くめまさを山本有三やまもというざう岡栄一郎をかえいいちらう成瀬正一なるせしやういち松岡譲まつをかゆづる江口渙えぐちくわん等も学校友だちなり。
学校友だち (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
往年久米正雄くめまさを氏シヨウを訓して笑迂せううと云ひ、イブセンを訓して燻仙いぶせんと云ひ、メエテルリンクを訓して瞑照燐火めいてるりんくわと云ひ、チエホフを訓して知慧豊富ちゑほうふと云ふ。戯訓ぎくんと称して可ならん
僕が大学を卒業した年の夏、久米正雄くめまさを一緒いつしよ上総かづさいちみやの海岸に遊びに行つた。
微笑 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
僕は二年生か三年生かの時、矢代幸雄やしろゆきを久米正雄くめまさを二人ふたりと共にイギリス文学科の教授方針を攻撃したり。場所はひとばしの学士会館なりしと覚ゆ。僕等はくわを以て衆にあたり、大いに凱歌がいかを奏したり。
その頃の赤門生活 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
僕等「新思潮しんしてう社」同人どうじんの列したるは大正天皇の行幸し給へる最後の卒業式なりしなるべし。僕等は久米正雄くめまさをと共に夏の制服を持たざりし為、はだかの上に冬の制服を着、恐る恐る大勢おほぜいの中にまじり居たり。
その頃の赤門生活 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
僕等は当時「新思潮しんしてう」といふ同人雑誌どうじんざつしたてこもつてゐた。「新思潮」以外の雑誌にも時時作品を発表するのは久米正雄くめまさを一人ひとりぎりだつた。そこへ「希望」といふ雑誌社から、突然僕へ宛てた手紙が来た。
続野人生計事 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
同級に久米正雄くめまさをあり。三汀さんていと号し、朱鞘しゆざや派の俳人なり。
わが俳諧修業 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)