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上野国
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こうずけのくに
ふりがな文庫
“
上野国
(
こうずけのくに
)” の例文
旧字:
上野國
以上だけでも、義仲を
繞
(
めぐ
)
る女性は四人もかぞえられる。ほかに
上野国
(
こうずけのくに
)
で獲た若菜という女性を誌す地方史もあるが、どうであろうか。
随筆 新平家
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
独美の家は門人の一人が養子になって
嗣
(
つ
)
いで、二世瑞仙と称した。これは
上野国
(
こうずけのくに
)
桐生
(
きりゅう
)
の人
村岡善左衛門
(
むらおかぜんざえもん
)
常信
(
じょうしん
)
の二男である。名は
晋
(
しん
)
、
字
(
あざな
)
は
柔行
(
じゅうこう
)
、また
直卿
(
ちょくけい
)
、
霧渓
(
むけい
)
と号した。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
往来は稀な
山村
(
やまむら
)
で、名におう
上野国
(
こうずけのくに
)
東口の追貝村、頃は寛延元年八月の二日、山曇りと云うので、今まで晴天でいたのが暗くなって、霧が顔へかゝりました、暗さは暗し
塩原多助一代記
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
上野国
(
こうずけのくに
)
の国府に明円という僧があったが
遊行
(
ゆぎょう
)
の
聖
(
ひじり
)
が念仏を申し通ったのを留めて置いて、自分の処へ道場を構え念仏を興行していたが、或夜の夢に、われはわが朝の大導師聖覚という者である。
法然行伝
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
むかし、
上野国
(
こうずけのくに
)
館林
(
たてばやし
)
に、
茂林寺
(
もりんじ
)
というお
寺
(
てら
)
がありました。このお
寺
(
てら
)
の
和尚
(
おしょう
)
さんはたいそうお
茶
(
ちゃ
)
の
湯
(
ゆ
)
がすきで、いろいろとかわったお
茶
(
ちゃ
)
道具
(
どうぐ
)
を
集
(
あつ
)
めてまいにち、それをいじっては
楽
(
たの
)
しみにしていました。
文福茶がま
(新字新仮名)
/
楠山正雄
(著)
▼ もっと見る
上野国
(
こうずけのくに
)
岡部の寺にて怪しき亡者の事
雪柳
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
越後の上杉家とは、それから間もなく、
上野国
(
こうずけのくに
)
の国境で、
小競
(
こぜり
)
あいがあり、甲州の
武田信玄
(
たけだしんげん
)
は、久しく
鳴
(
なり
)
をひそめていた
鼓
(
こ
)
を鳴らして
篝火の女
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
寺に
一夜
(
ひとよ
)
寝て、二十九日の朝三人は旅に立った。文吉は荷物を負って一歩跡を附いて行く。亀蔵が奉公前にいたと云うのをたよりにして、最初
上野国
(
こうずけのくに
)
高崎をさして往くのである。
護持院原の敵討
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
のふたりが、
上野国
(
こうずけのくに
)
新田ノ庄へ急いで行ったことでもその関心のほどが知れよう。がこの両武将は、決して武力をかざして向ったのでなく、表面、幕府の
徴税使
(
ちょうぜいし
)
として下向して行ったのだった。
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
上野国
(
こうずけのくに
)
高崎の城主松平
右京亮
(
うきょうのすけ
)
輝聡
(
てるとし
)
の家来で、本郷
弓町
(
ゆみちょう
)
に住んでいた。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
上野国
(
こうずけのくに
)
の新田義貞が、郷土
生品明神
(
いくしなみょうじん
)
の社前で、旗上げを宣言していた。
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“上野国”の意味
《固有名詞》
上 野 国(こうずけのくに、かみつけのくに)
日本の旧国(令制国)のひとつ。現在の群馬県にあたる。
(出典:Wiktionary)
“上野国”の解説
上野国(こうずけのくに、かみつけぬのくに、かみつけののくに、かみつけのくに)は、かつて日本の令制国の一つ。東山道に属する。おおむね現在の群馬県にあたる。別名は、上州(じょうしゅう)、上毛野(かみつけの・かみつけぬ)、上毛(じょうもう・かみつけ)など。
(出典:Wikipedia)
上
常用漢字
小1
部首:⼀
3画
野
常用漢字
小2
部首:⾥
11画
国
常用漢字
小2
部首:⼞
8画
“上野国”で始まる語句
上野国司