上総介かずさのすけ)” の例文
『観瀾集』に、〈大石家馬角一枚を蔵す、伝えていわく上総介かずさのすけ小幡信定おばたのぶさだ(武田家の勇士)乗れる馬生ずるところ云々〉。
いぶかしげに、外へ出て見ると千葉介常胤も、上総介かずさのすけ広常も、北条父子おやこも、みなとばりを払って、闇の中に佇んでいた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
烏帽子のあつらえ手は相州そうしゅう衣笠の城主で三浦介源義明よしあきらであることを家来は説明した。三浦介は上総介かずさのすけ平広常と共に京都の守護として、このごろ坂東から召しのぼられたのであった。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
君も知ってるだろう、山岡は静山せいざんといって、日本一の槍の名人さ——とにかく飛騨の高山は、昔、悪源太義平、加藤光正、上総介かずさのすけ忠輝といったような毛色の変った大物が出ているよ。
大菩薩峠:30 畜生谷の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それだのに植通はその信長に対して、立ったままに面とむかって、「上総かずさ殿か、入洛じゅらくめでたし」といったきりで帰ってしまった。上総殿とは信長がただこれ上総介かずさのすけであったからである。
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そしてすぐにこの家に奉公したいと決心した。奥方は松平上総介かずさのすけ斉政なりまさむすめである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
景親が東国の侍奉行さむらいぶぎょう上総介かずさのすけ忠清のところへ参ると、忠清の手許へ、駿河するが長田おさだ入道から書状が上っていた由です。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「小国なれど、尾張の織田上総介かずさのすけ信長公。あのお方を除いては、今、大事を語る武将はござりませぬ」
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とは叫んだが、まだ暗い朝霧の中を、眼をさえぎって駈け通った先頭の人が、領主の織田上総介かずさのすけ信長であったとは、後でこそ思い当ったが、誰もその時それとは見なかった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「これは、初めて御対面つかまつる。織田上総介かずさのすけ信長にてござる。お見知りおきください」
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お味方申そうと云って来た上総介かずさのすけ広常からも言葉だけで、今以て迎えが来ないのである。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
会見はそこでときまり、四月の下旬、上総介かずさのすけ信長はれの人数をひきいて、那古屋なごやの城を出、やがて木曾川、飛騨川ひだがわ渡舟わたしも打ち越えて、青葉若葉につつまれた富田ノ庄へ押しすすんで行った。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十三歳で元服し、吉法師のあざなを三郎と改め、十四歳初陣して、十六で父信秀にわかれた上総介かずさのすけ信長の、人を人臭いとせぬつらだましいは、長ずるにつれて、いよいよ、傍若無人になるばかりだった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長尾遠江守——中条越前守——柿崎和泉守——甘糟あまかす近江守——宇佐美駿河守——和田喜兵衛——石川備後びんご——村上左衛門尉義清——毛利上総介かずさのすけ——鬼小島弥太郎——阿部掃部かもん——直江大和守——鮎川摂津守せっつのかみ——高梨政頼——新発田しばた尾張守
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)