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こうくり
ふりがな文庫
“こうくり”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句
割合
高勾麗
66.7%
高句麗
33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
高勾麗
(逆引き)
これは学者によって、後漢か晋代(西紀二百年頃)とも、また少し下って
高勾麗
(
こうくり
)
の最盛期(わが欽明帝の世、支那は隋初)とも推定され、高勾麗平原王の陵墓との説もある。
ある偃松の独白
(新字新仮名)
/
中村清太郎
(著)
それがまた仏道の
旨
(
むね
)
でもあったと思います。かつてまた私たちは平壌に近い江西に朝鮮の古墳を訪うたことがあります。
高勾麗
(
こうくり
)
時代に
溯
(
さかのぼ
)
りますから、まだ仏教が充分に伝わった時ではありませぬ。
民芸四十年
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
こうくり(高勾麗)の例文をもっと
(2作品)
見る
高句麗
(逆引き)
さてその
後
(
ご
)
、
北朝鮮
(
きたちようせん
)
には
高句麗
(
こうくり
)
といふ
朝鮮人
(
ちようせんじん
)
の
國
(
くに
)
が
建
(
た
)
てられて、
支那人
(
しなじん
)
の
勢力
(
せいりよく
)
がだん/\なくなつてしまひました。
博物館
(旧字旧仮名)
/
浜田青陵
(著)
これは
高句麗
(
こうくり
)
の
古
(
ふる
)
い
頃
(
ころ
)
の
好太王
(
こうたいおう
)
といふ
王樣
(
おうさま
)
のお
墓
(
はか
)
であるといふことであります。この
墓
(
はか
)
の
内部
(
ないぶ
)
には
石
(
いし
)
で
作
(
つく
)
つた
部屋
(
へや
)
がありますが、
古
(
ふる
)
くその
中
(
なか
)
を
荒
(
あら
)
したものがあつて
今
(
いま
)
は
何
(
なに
)
も
殘
(
のこ
)
つてをりません。
博物館
(旧字旧仮名)
/
浜田青陵
(著)
この
將軍塚
(
しようぐんづか
)
や
碑
(
ひ
)
のあるところは
鴨緑江
(
おうりよつこう
)
の
北
(
きた
)
で、
今日
(
こんにち
)
では
支那
(
しな
)
の
領地
(
りようち
)
となつてゐます。
高句麗
(
こうくり
)
は、その
後
(
ご
)
この
北
(
きた
)
の
方
(
ほう
)
から
都
(
みやこ
)
を
平壤
(
へいじよう
)
に
移
(
うつ
)
しましたので、その
後
(
ご
)
の
古墳
(
こふん
)
は
平壤
(
へいじよう
)
の
西
(
にし
)
の
方
(
ほう
)
にたくさんあります。
博物館
(旧字旧仮名)
/
浜田青陵
(著)
こうくり(高句麗)の例文をもっと
(1作品)
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