高勾麗こうくり)” の例文
これは学者によって、後漢か晋代(西紀二百年頃)とも、また少し下って高勾麗こうくりの最盛期(わが欽明帝の世、支那は隋初)とも推定され、高勾麗平原王の陵墓との説もある。
ある偃松の独白 (新字新仮名) / 中村清太郎(著)
それがまた仏道のむねでもあったと思います。かつてまた私たちは平壌に近い江西に朝鮮の古墳を訪うたことがあります。高勾麗こうくり時代にさかのぼりますから、まだ仏教が充分に伝わった時ではありませぬ。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)