軍旅ぐんりょ)” の例文
「ここは鎌倉と都との、ちょうど海道のまん中にあたる。鎌倉へ知れる頃には、軍旅ぐんりょ、ましぐらに、われらは早や都のうちだ」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(十) その翌年、弟子冉有が季康子きこうしのために師をひきい斉と戦って勝った。季康子がそれについて尋ねると、冉有ぜんゆう軍旅ぐんりょのことを孔子に学んだと答えた。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
松任まっとうから尾山城まで——利家が案内に立って、秀吉とその軍旅ぐんりょは、長い線を、えんえんと描いた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その治部大輔義元には、こんどの軍旅ぐんりょは、少なからぬ苦痛であったに違いない。肥えたわりに背の低い胴長な体に、赤地錦の直垂ひたたれ、大鎧をつけ、胸白の具足に、八龍を打った五まいしころかぶとをかぶった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
竹童ちくどうがあいずの狼煙のろしをみて、この地方に敵ありと知った武田伊那丸たけだいなまるは、白旗しらはたもり軍旅ぐんりょをととのえ、裾野陣すそのじん降兵こうへいをくわえた約千余の人数を、せいりゅうはくげんの五段にわかち、木隠こがくれたつみ山県やまがた
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)