蒙塵もうじん)” の例文
ただここに、なお劉家りゅうけの血液を誇った一皇子がある。帝劉禅の五男北地王諶ほくちおうじんであった。皇子は初めから帝の蒙塵もうじんにも開城にも大反対で
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
このままどこかへ蒙塵もうじんしてしまうつもりだが、なんとしても心がかりなのは、あちらへ残してきた調査資料で、長年の努力の結晶をあのままあそこへ放っておくわけにはゆかないから
犂氏の友情 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
結局王子臨海りんかい君をして咸鏡かんきょう道に、順和君を江原道に遣して勤王の軍を募らしめ、王李昭、世子光海こうかい君以下王妃宮嬪きゅうひん数十人、李山海、柳成竜等百余人にまもられて、遠く蒙塵もうじんする事になった。
碧蹄館の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
また以て、いかに顕実一派や、興福寺などが、このたびの天皇の蒙塵もうじんを、白眼視していたかが分ろう。そして、天皇以下
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いっそ、南方へ蒙塵もうじんあそばすのが、いちばん安全でしょう。南方はまだ醇朴じゅんぼくな風があるし、丞相じょうしょう孔明がいた徳はまだ民の中に残っています」
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
賭けは、すでに笠置蒙塵もうじんの日、踏みきッておられたもの。あのさいの大覚悟をおもえば、脱島の冒険とて、何でもない。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この仲時は、さきに六波羅を捨てると決して、天子の蒙塵もうじんをおすすめしたさい、天子の御父後伏見からいたく責められたことを、心魂に徹していた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だからおなじ蒙塵もうじん(天子の御避難)でも、今日の恐怖は、往時むかしの比ではない。——賢所かしこどころ渡御とぎょ(三種ノ神器の移動)を忘れなかったのがやっとであった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
呉へはしるも愚策、南方に蒙塵もうじんあるも、何もかも、唯、末路の醜態を加えることでしかありません。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とはいえ、もし高氏の叛軍が六波羅に破れていたら? ——それはまた、どういう構えを取ったかは分らぬ彼だが——なにしろ目前に、持明院統の帝室が蒙塵もうじんして来たのである。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それを、尊氏きたるの風騒ふうそうおびえ、たちまち都をからにして、みかどの蒙塵もうじんを仰ぎなどしたら、それこそ、いよいよ武士どもを思い上がらせ、世の物笑いとなるのみだわ。……愚策ぐさく、愚策
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いまや取る途はそれしかないとは分っていたが、動座は天皇の蒙塵もうじんを意味する。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いわば、親なる者は、父のみかどしか知らぬ宮なのだ。——だからその父君の蒙塵もうじんを追って、馬を飛ばして行った気もちには、泣く子のような慕情が先立っていたといっても大過あるまい。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)