くち)” の例文
最初のくちづけはまた最後のものであった。その後マリユスはくちびるを、コゼットの手か襟巻えりまきか髪の毛かより以上のものには触れなかった。
誰かのくちから、亡君という一語が洩れると、一同は、急にむなさきがつまって来て、眼がしらにうずのようなものがたぎった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
燭台しょくだいのような形にすわり、柔らかく息をしながら、しっかりくちを閉じ、眼の縁を薔薇色ばらいろにして、彼はじっと眼を据える。
博物誌 (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
気のせいであったのか、それとも一種の幻惑の種類であったのか、ともかく、彼女の厚いくちもとから鼻すじへかけて、深い微笑の皺がれこんだ事は実際であった。
性に眼覚める頃 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
それから私はそのくちにブランディをつぎ込んだ。幸いにそれが卓効たくこうを奏して、蒼白な彼の顔には再び血の気があらわれ、ふるえる手足をようやく落ち着かせるようになった。
てんでに丸いくちしてる唱歌隊へと注がれて。さて
透き通るような白い指をそのくちに押しあてた。
初雪 (新字新仮名) / ギ・ド・モーパッサン(著)
木かげの花にくちふるる色好みにはえも堪へじ。
泣菫詩抄 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
その胸も そのくちも その顏も その腕も
青猫 (旧字旧仮名) / 萩原朔太郎(著)
『死』は半ばくちを開いて 水を恋ひ
頌歌 (新字旧仮名) / 富永太郎(著)
その手、そのくち、そのくちびる
別離 (新字旧仮名) / 中原中也(著)
そうだ、愛と婦人とくちづけ、その世界からだれも出られるものではない。わしはむしろそこにはいりたいと思うくらいだ。
ちっと、父のくちから舌打の出るような場合すらある。上野介は、元来が陽気で派手好みの方なのだ。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
笑ましげのくちそと開けて、唇を半ば動かし
しらけたるくち、乾きし頬
山羊の歌 (新字旧仮名) / 中原中也(著)
母親は扇のように翼をひろげてひなをおおうていた。父親は飛び上がって出て行き、それからまた戻ってきては、くちばしの中に餌とくちづけをもたらしていた。
そのくちに、天使のくちをつけました……
と突然彼は痙攣的けいれんてきに身を震わし、その口はコゼットの衣裳に吸い着いて、それにくちづけをした。彼がなお生きてることを示すものはただそれだけだった。
我等のくちを顫はせる手よ
その会釈は、ヴェール越しのくちづけにも似たものである。肉感は身を隠しながらそこにやさしい跡を刻む。肉感の前に、心はなお深く愛せんために身を退く。
その鼻、そのくち、その耳を
一つのくちづけが二つの魂を結び合わしたあのきよい祝福された夜以来、マリユスは毎晩そこにやってきた。