粟田口あわたぐち)” の例文
奎堂 粟田口あわたぐち。それはまた時代な。いや、今宵は名刀揃いですな、さだめし他の方々も、素晴しいものを帯びておられることでしょう。
稲生播磨守 (新字新仮名) / 林不忘(著)
粟田口あわたぐち慈円じえん様へ、久しゅう、ごぶさた申し上げているで、おあずかりの歌の草稿、お届けいたしながら、ご機嫌をうかがってくる」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
両人を古い釣輿に乗せて運び出したが、白井は大雲院のお寺で、杢助は粟田口あわたぐちの鳥居小路と云う者の家で、同じ時刻に腹を切った。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
芸題は『大経師だいきょうじ昔暦むかしごよみ』と云って、京の人々の、記憶にはまだ新しい室町むろまち通の大経師の女房おさんが、手代てだい茂右衛門もえもんと不義をして、粟田口あわたぐちに刑死するまでの、のろわれた命懸けの恋の狂言であった。
藤十郎の恋 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「いずれ人はいるだろうさ。これほどの大きな屋敷の中に、人のいない筈はない。が、おれは大丈夫だ。五人十人かかって来たところで、粟田口あわたぐちがものをいう。斬って捨てるに手間ひまはいらぬ」
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
岡崎から粟田口あわたぐちへ——そして街道を一すじに登って蹴上けあげの坂にかかるころは、もう、道路のかきも、樹々の間も、人間で埋まっていた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いいやいや。にえみだれて刃みだれざるは上作なりと申す。およそ直刃すぐはに足なく、位よきは包永かねなが新藤五しんとうご千手院せんじゅいん粟田口あわたぐち——。」
寛永相合傘 (新字新仮名) / 林不忘(著)
ひゅうがのかみの首としがいとをつなぎあわせて粟田口あわたぐちにおいてはりつけになされました。
盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「わかるかな、粟田口あわたぐち藤四郎!」
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「そうそう、あの折、六条の頭殿こうのとの遺子わすれがたみという幼な子が、粟田口あわたぐちから押立おったての役人衆にかこまれて、伊豆の国とやらへ流されて行った——」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
七日には、二人して、粟田口あわたぐち青蓮院しょうれんいんの僧正へ、賀詞をのべに行った。尋有じんゆうも、いよいよ健やかな勉学期に入っている。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「わけて近江伊吹には、執権しっけんのご信頼あつき佐々木道誉もおりますこと。……また佐々木の同族、六角時信も、粟田口あわたぐちあたりで加わるはずでござりますゆえ」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
兼好は山の庵へもどりかけたが、思い直したふうでそのまま傘をかかえ、酒つぼを提げ、足駄あしだの音も不器ッちょに、たそがれ近い洛東らくとう粟田口あわたぐちを、まごまごしていた。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
粟田口あわたぐちまで来ると、ふいに隊伍が止まった。信長のそばに在った藤吉郎が、前へ駈け出してゆくのと、先発の隊伍から明智光秀が足を早めて戻って来たのと同時であった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ね。おじさんの店は、戦争前は粟田口あわたぐちにあったんだろ。あの辺も焼けちゃったけれど」
そこで散々に敗れた彼は、粟田口あわたぐちから近江へ落ちて行った。瀬田の自軍と合流する考えであった。——けれどもう自分の運命は分っていたものとみえて、蹴上けあげの坂に立った時、洛中を振りかえって
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
粟田口あわたぐちへさしかかった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
粟田口あわたぐちより
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)