相模川さがみがわ)” の例文
建久けんきゅう九年十二月、右大将家うだいしょうけには、相模川さがみがわの橋供養の結縁けちえんのぞんだが、その帰途馬から落ちたので、供養の人びとに助け起されてやかたへ帰った。
頼朝の最後 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
馬入川ばにゅうがわすなわち相模川さがみがわの水域は、ことに本場であるように以前から伝えられているので、私などは例の早合点で、この手近の多摩川の両岸なども
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
……ウム、わんのものか、鳥? よかろう、竹の子の木のあえ、それもいい、それから、網源あみげんへ聞き合せて、まだあゆは育っていまいが、何か相模川さがみがわ
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
全体鮎の味は川によって違います。玉川の鮎よりは相模川さがみがわの鮎が上等ですし、相模川の鮎よりは酒匂川さかわがわの鮎が一層優っています。また同じ川でも場所によって味が違います。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
あるくうちに、相模川さがみがわのあゆや、八郎潟ろうがたのふなまで、ならべられてありました。
都会はぜいたくだ (新字新仮名) / 小川未明(著)
正治元年千幡八歳のとき、父が相模川さがみがわの大橋の落成式に行って、馬から落ちたのがもとで急に薨去こうきょした。兄頼家よりいえが二代将軍となったが、建仁三年辞し、千幡は十二歳で将軍となり実朝と改めた。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
武蔵野の西郊を相模川さがみがわの果てまで行くと、厚木あつぎ宿しゅくから、大山、丹沢などの山々がおもてに迫って来る。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
店の前を小戻りして、宿場はずれをブラブラ抜け、いつか相模川さがみがわの河原へ出ていました。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)