白鬚しらひげ)” の例文
水が凍らないように、長い棒でしょっちゅう水面をばしゃばしゃかきまぜ、叩いていた。白鬚しらひげまじりの鬚に氷柱をさがらした老人だった。
国境 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
三囲みめぐりから白鬚しらひげ、遠くは木母寺もくぼじまで肩摩轂撃けんまこくげき、土手際にはよしず張りの茶店、くわいの串ざしや、きぬかつぎを売り物に赤前垂が客を呼ぶ。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
向島で言問団子ことといだんごをたべて、白鬚しらひげ神社から、梅若塚までテクテク歩いた。一体、芳助は、どうしてあんなに物知りだったのだろう。
胡堂百話 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
一銭蒸汽と云った時代からの隅田川すみだがわの名物で、私はよく、用もないのに、あの発動機船に乗って、言問ことといだとか白鬚しらひげだとかへ往復して見ることがある。
陰獣 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
明治十六年十月毅堂の門人らが先師の名を不朽ならしむるため、石碑を向島むこうじま白鬚しらひげ神社の境内に建てた。碑の篆題は三条実美が書し、文と銘とは三島中洲が撰した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
木母寺もっぽじには梅若塚うめわかづか長明寺ちょうみょうじ門前の桜餅、三囲神社みめぐりじんじゃ、今は、秋葉あきば神社の火のような紅葉だ。白鬚しらひげ牛頭天殿ごずてんでんこい白魚しらうお……名物ずくめのこの向島のあたりは、数寄者すきしゃ通人つうじんの別荘でいっぱいだ。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「じゃ、一人で白鬚しらひげの渡し渡って買ってらっしゃい。行ける?」
(新字新仮名) / 岡本かの子(著)
伽羅きやら大盡磯屋いそや貫兵衞の凉み船は、隅田川をぎ上つて、白鬚しらひげの少し上、川幅の廣いところをつて、中流にいかりをおろしました。
中略三囲の鳥居前よりうし御前ごぜん長命寺の辺までいと盛りに白鬚しらひげ梅若うめわかの辺まで咲きに咲きたり。
向嶋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それから三十分ほどのち、女中ののった自動車は、白鬚しらひげ橋をわたって、隅田すみだ公園のやみのなかに止まりました。女中はそこでおりて、まっ暗な立木のあいだへ、はいっていきます。
灰色の巨人 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
白鬚しらひげの渡し、下っては山の宿、駒形の渡し、瓦町から両国百本杭への富士見の渡し、それに並んで須賀町のお蔵の渡し、大橋下流に中洲や清住の渡し、まだある、浜町の安宅の渡しなど
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
伽羅大尽きゃらだいじん磯屋貫兵衛いそやかんべえの涼み船は、隅田川をぎ上って、白鬚しらひげの少し上、川幅の広いところをって、中流にいかりをおろしました。
向島むこうじま白鬚しらひげ神社の境内に毅堂の姓名を不朽ならしめんがため、その事蹟と家系とを記した石碑が今なお倒れずに立っている。鷲津氏の家は世々尾張国おわりのくに丹羽にわ郡丹羽村の郷士ごうしであった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
札差の株から店まで實弟の丹三郎に讓つて、自分は向島の白鬚しらひげに、金に飽かした宏莊な寮を營み、二人のめかけと共に引籠つて、花鳥風月を友としてゐることは
いづれ夕方は白鬚しらひげあたりに着けて、諏訪明神樣裏の寮で一と騷ぎするでせうが、その日だけは、主人の平左衞門が、小僧の伊佐松とたつた二人で駒形の店に留守番をするんだ相で
水浸みづびたしになつた凉み船は、それでも白鬚しらひげの方へ、少しづづ少しづつは動いて行きます。
いずれ夕方は白鬚しらひげあたりに着けて、諏訪すわ明神様裏の寮で一と騒ぎするでしょうが、その日だけは、主人の平左衛門が、小僧の伊佐松とたった二人で駒形の店に留守番をするんだそうで