『新古今集』では歌人として名のたかかった源三位頼政げんざんみよりまさ、平家方では忠盛ただもり、鎌倉幕府方では頼朝よりともの三人で、頼朝すら一首しか取られていない。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
湯は菖蒲の湯で、伝説にいう、源三位頼政げんざんみよりまさの室菖蒲あやめまえ豆州長岡ずしゅうながおかに生まれたので、頼政滅亡の後、かれは故郷に帰って河内かわうち村の禅長寺に身をよせていた。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
額堂の北の柱を見ると、釘の先で、「ぬえる」と落書がしてある。——仰向いて、そこにある幾つもの絵馬を見ると、源三位頼政げんざんみよりまさの図をいた一つの額がある。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
源三位頼政げんざんみよりまさ後裔こうえいもここに落ちて来た。熊野で入水じゅすいしたという平維盛たいらのこれもりもこの地へ落ちて来た。
大菩薩峠:05 龍神の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
満を持してしばらくもたせたが「えい!」という矢声! さながら裂帛! 同時に鷲鳥の嘯くような、鏑の鳴音響き渡ったが、源三位頼政げんざんみよりまさぬえを射つや、鳴笛めいてき紫宸殿ししんでんに充つとある
弓道中祖伝 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
一方、北門は、大内だいだい守護の職にあった源三位頼政げんざんみよりまさが、僅か三百余騎の手兵を持って守っていたが、何分、広さは広し、人数は少いので、自然まばらな配置になるのも無理のないことであった。
定家の近親はみな歌よみであった。父俊成のところへは、俊恵しゅんえや西行や源三位頼政げんざんみよりまさが出入した。その中で定家は早くから文学の才をあらわした。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
源三位頼政げんざんみよりまさの挙兵の真因さえも、従来、なんの確証もあがっていない。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ぬえ退治たいじた伝説で有名な源三位頼政げんざんみよりまさ、西行法師、大原おおはらの三寂といわれた寂超じゃくちょう寂然じゃくぜん寂念じゃくねんの三兄弟、『金葉集』を撰んだ源俊頼の子の歌林苑の俊恵しゅんえ、少し若手では『方丈記』の鴨長明かものちょうめいなど
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
しわぶきの中から苦しげに、源三位頼政げんざんみよりまさは云った。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)