殿上てんじょう)” の例文
塩冶の内室は殿上てんじょうに生い立って、上手の歌よみという噂がある。なまじいの文など書こうよりはと思案して、その古歌を書き申した。
小坂部姫 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
殿上てんじょうでも、陛下のまえでも、この通りなことはあった。田植え、耕作のあいだにも、百姓たちは、すぐ舞った。飯を食い、水を飲む意欲と、同じにである。
殿上てんじょうの役人たちももうやすんでしまっているこんな夜ふけにもし中宮へ接近する機会を拾うことができたらと思って、源氏は藤壺の御殿をそっとうかがってみたが
源氏物語:08 花宴 (新字新仮名) / 紫式部(著)
今の太上天皇様が、まだ宮廷の御あるじで居させられた頃、八歳の南家の郎女は、童女わらわめとして、初の殿上てんじょうをした。穆々ぼくぼくたる宮の内の明りは、ほのかな香気を含んで、流れて居た。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
有王 世は澆季すえになったと思われまする。平氏はますます栄えはびこり、その荘園しょうえんは天下に半ばし、一族ことごとく殿上てんじょうに時めき「平氏にあらざるものは人にあらず」といわれております。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
等々の殿上てんじょうから、外記げき、史官、医家、僧門、諸大夫の女房らにいたるまでの総移動も同時となったものだった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
殿上てんじょうの宿直役人が姓名を奏上する名対面はもう終わっているだろう、滝口の武士の宿直の奏上があるころであると、こんなことを思ったところをみると、まだそう深更でなかったに違いない。
源氏物語:04 夕顔 (新字新仮名) / 紫式部(著)
前関白月輪さきのかんぱくつきのわ公が、まず第一に指を折られる。次に、大炊御門おおいみかど左大臣、花山院兼雅かざんいんかねまさ、野々宮左大臣、兵部卿基親ひょうぶきょうもとちかなど、殿上てんじょう帰依者きえしゃだけをかぞえても、十指に余る。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、殿上てんじょうからの、べつな通達によると、正成は河内から直行せず、親しくみかどにお別れをつげて立ったという。そのことは、義貞にまた或る不安をいだかせていた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひとまず御車を、木蔭に寄せて、殿上てんじょうならぬ辻評定が、ただ恟々きょうきょうと、ささやかれた。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、老大納言は、清涼せいりょう殿上てんじょうでもしないほどな平身低頭を、高時へはして
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
殿上てんじょうの眼も幾多、どこかでは、この有様をひそと見ていたことでもあろうに。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たとえひとりの忠盛でも、帝座ていざにまぢかい殿上てんじょうへ、地下人を上げるなどは、かれらの狭量と排他性がゆるさない。雲上うんじょうの特権を破壊されると感じたのである。スガ目の伊勢こそは、油断がならぬ。
そこからは、いわゆる殿上てんじょうで、清涼殿せいりょうでんの南のひさしにあたるところである。