かし)” の例文
色の青い娘は、着てゐる薄い茶色のジヤケツを、分厚に出来た、黒いかしの木のベンチの、一番暗い隅に押し付けるやうにして坐つてゐる。
駆落 (新字旧仮名) / ライネル・マリア・リルケ(著)
ほのかな遠くのかしの花の甘い臭に刺戟されてじつと自分の悲哀を凝視めながら、細くて赤い嘴を顫してゐる気分が何に代へても哀ふかく感じられる。
桐の花とカステラ (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
白樺、白楊はくやう、楡、山楂子さんざしかしなどの木が、やつと芽を吹いたばかりである。楡の木の背後うしろには黒樺の花が満開してゐる。ルスチニア鳥がき側で一羽啼いてゐる。
彼は大きいかしの木の下に先生の本を読んでゐた。檞の木は秋の日の光の中に一枚の葉さへ動さなかつた。どこか遠い空中に硝子の皿を垂れたはかりが一つ、丁度平衡を保つてゐる。
或阿呆の一生 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
此の解剖室と校舍との間は空地になツてゐて、ひよろりとしたかしの樹が七八本、彼方此方あちこちに淋しく立ツてゐるばかり、そして其の蔭に、または處々に、雪が薄汚なくなツて消殘ツてゐる。
解剖室 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
高くつるした青銅の洋燈ランプの外には灯はまだけてはなかつたけれど。別に暖かみのある光が廣間とかしの階段の下の方の段をおほつてゐた。このべにを帶びた輝きは大食堂から洩れて來るのであつた。
しかし、スリッパの跡はどこまでも消えずに彼等を導いていった。その足許には、雪を踏みしだくような感じで埃の堆積が崩れ、それを透かして、かしの冷たい感触が、頭の頂辺てっぺんまで滲み透るのだった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
かしの高みにゐる御身たち
しかし椎の木は野蛮やばんではない。葉の色にも枝ぶりにも何処どこか落着いた所がある。伝統と教養とにつちかはれた士人にも恥ぢないつつましさがある。かしの木はこのつつましさを知らない。
わが散文詩 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
彼の威厳は荒金あらがねのやうにそこにかがやかに残つてゐる。彼のクリストに及ばなかつたのも恐らくはその事実に存するであらう。クリストに洗礼を授けたヨハネはかしの木のやうにたくましかつた。
西方の人 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)