柳川やながわ)” の例文
徳大寺とくだいじ家の密使をはじめ、加担の西国大名、筑後ちくご柳川やながわ大洲おおず加藤かとう金森かなもり鍋島なべしま、そのほかの藩から、それぞれの使者が徳島城に集まって
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
どうだ、福沢ふくざわ、もう一どかんがえなおして役人やくにんになってくれないか。そうすれば、ぼくと柳川やながわは、とてもたすかるんだ。
幸いそれが当たって、江戸中の評判となり、いつとはなしに、どじょうなべのことを柳川というようになった。これが柳川やながわの名称の起こりだという。
一癖あるどじょう (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
拙者が、今までに拝見致した剣術では、江戸で男谷おとこや下総守、筑後柳川やながわの大石進、それからただいま申す島田虎之助殿、この三人が至極とお見受け申した。
二人は久留米くるめから、一人は因州から、一人は福岡ふくおかから、一人は金沢から、一人は柳川やながわから、二人はから、一人は福井から、一人は佐賀から、一人は広島から、五人は桑名から
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それから一帯吉原田圃で、この方に太郎稲荷(この社は筑後ちくご柳川やながわ立花たちばな家の下屋敷内にある)の藪が見え、西は入谷田圃に続いて大鷲おおとり神社が見え、大音寺前だいおんじまえの方へ、吉原堤に聯絡れんらくする。
窓のまえに貼ってある二枚のビラの一枚には彩色さいしき入で、月と、ほととぎすと、駒形堂の屋根が描いてあって、“柳川やながわのお出前をいたします”としるしてあり、一枚には、あたりまと
浅草風土記 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
また、柳川は九州柳川やながわの換字ではないだろうか——というのもある。柳川は日本一の優良すっぽんの出るところ。
一癖あるどじょう (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
それから大神宮の大きな花崗石みかげの鳥居をくぐり(この鳥居は後で見たら、中央からポックリとふたつに折れていました。これは柳川やながわ力士雲竜久吉うんりゅうきゅうきちが納めたもので、その由を彫ってあった)仲店なかみせ
大洲おおずの加藤家、柳川やながわの立花家」
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なべものは一般に冬のものと決まっているところへ、こればかりは夏のものであることも、大方おおかたきょうを呼ぼう。東京では、どじょうなべというより「柳川やながわ」というほうが通りがいい。
一癖あるどじょう (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)