みそか)” の例文
越中中新川郡のネブタ流しが、旧六月みそかであったことは前に述べたが、その東隣の下新川の沿岸には、正月十五日にこれを行う村々があるという。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
日もつごもりのみそかごと、闇を合図にとんとんと、あられまじりに戸を叩いたら、それを合図と思召おぼしめして下さい。
(新字新仮名) / 岡本かの子(著)
強ひて時間を限劃げんくわくしようとしても、三月七日の後、十二月みそかの前にはうづむべからざる空隙がある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
七月みそかより、うるふ七月一日の夜にかけての大暴風に、敵十五万の大軍は覆滅して、還り得たるもの、わづか五分の一だと云はれてゐるが、十五万の大軍を石築地いしついぢに依つて、よく防禦した将士の奮戦が
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
多分は月送りの旧六月みそかで、すなわち九州などで広く行われている夏秋祭の海ゆきと同じ日でもあり対馬のネムの木流しと共に、これも天王祭との関係が想像せられる。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
翌文政八年三月みそかには、当時抽斎の住んでいた元柳原町六丁目の家が半焼はんやけになった。この年津軽家には代替だいがわりがあった。寧親が致仕して、大隅守おおすみのかみ信順のぶゆきが封をいだのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
天明八年の火事とは、正月みそか洛東団栗辻らくとうどんぐりつじから起って、全都を灰燼かいじんに化せしめたものをいうのである。幕府はこの答に満足せずに、似寄によりの品でもいから出せと誅求ちゅうきゅうした。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
次に文政八年三月みそかに、抽斎の元柳原六丁目の家が過半類焼したということが、日記に見えている。元柳原町は弁慶橋と同じ筋で、ただ東西両側りょうそくが名を異にしているに過ぎない。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
別に清客張秋琴があつて、蘭軒がこれに書を与へて清朝考証の学を論じたことはかみに云つたが、これは文化三年十一月みそかに長崎に来て、蘭軒は翌年二月にこれと会見したのである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)