新羅しんら)” の例文
新羅しんら百済はくさい高麗こうらいに逃げたいと夢のようなことをいえば、いや雲の果て、地の果て、海の彼方に行きたいと叫び出す者もいる。
すなわちここは新羅しんら三郎以来の父祖の地、同じ戦うにも死ぬにも、最後の最後まで、先祖の地でそれをなすべきで、新府しんぷを捨ててはしるのは
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武田の家は、源義家の弟新羅しんら三郎義光の後で、第十六代信虎の子が信玄である。幼名勝千代、天文五年十六歳で将軍足利義晴より諱字いみなを賜り、晴信と称した。
川中島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
それにはこの森を深夜にひとりで踏み越えた豪胆者として坂田金時や新羅しんら三郎の名前が数えられて、今なおその記録を破る冒険者は出現しないと流言されている。
ゼーロン (新字新仮名) / 牧野信一(著)
新羅しんら高羅こうら百済はくさい」(シラギ、コマ、クダラ)を三年でまわり、「三韓の王は窮したろう」と仰せになった。それを、いつの日からか落語の『らくだの馬さん』は
江戸前の釣り (新字新仮名) / 三遊亭金馬(著)
八大はちだいの魚や新羅しんらの鳥さへ、大雅たいがの巖下にあそんだり、蕪村ぶそんの樹上にんだりするには、余りにたくましい気がするではないか? 支那の画は実に思ひのほか、日本の画には似てゐないらしい。
支那の画 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
松平大和守やまとのかみには客分にあつかわれ、新羅しんら三郎義光よしみつの後胤甲斐源氏の名門であり、剣を取らせては海内の名人、しかも家計は豊かであって、倉入り千俵と云われて居り、門弟の数大略おおよそ二千
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
老人新羅しんら三郎が笙曲を授くるような顔して、ニッとも笑わず語り出でしは、旧伝に絶えてなきを饅頭まんじゅうと名づく、これかえっていたく凶ならず、わずかにあるをカワラケと呼び、極めて不吉とす
いかに新羅しんら三郎以来の家武田氏が、ひと頃の隆盛を極めた文化があった所にせよ、中央の精兵と衛軍の豪美荘重なよそおいにはくらべようもない。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
新羅しんら三郎以来の名族、また余りに宇内うだい耀かがやきすぎた信玄の名にたいしても、勝頼たるものが甘んじて今さら、信長の膝下しっかに、降を乞えるものではない。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)