慶安けいあん)” の例文
江戸詰めの年寄役だった父の惣兵衛そうべえが、それから六年めの慶安けいあん四年に岡崎へ帰って来た。国老格で吟味役を兼ねることになったのである。
日本婦道記:墨丸 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
それが、正保しょうほう慶安けいあん承応じょうおう万治まんじ——元禄というように、世が推移してくるにしたがって、世風も士風もおどろくばかり変って来たのである。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
活字本や慶安けいあん版本が何によったかは知らぬが、『春曙抄』は耄及愚翁の本によって校訂したといわれている(2)
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
後に豊後府内から同国津守つのかみに移されて、台所料として幕府から一万石を給され、晩年をこともなく過し、慶安けいあん三年九月十日にこうじた。享年五十六歳であった。
忠直卿行状記 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
森の家は、石州せきしゅう津和野の城主亀井家に代々仕えた典医でした。亀井家は元和げんな三年に津和野に封ぜられてから十二代になり、森は慶安けいあんから天保てんぽう年間までで十一代になりました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
わたくしはこの正保二年に出来て、四年に上梓じょうしせられた「屋敷附」より古い「武鑑」の類書を見たことがない。くだって慶安けいあん中の「紋尽もんづくし」になると、現に上野の帝国図書館にも一冊ある。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「あの、田代屋又左衛門というのは、確か、慶安けいあん四年(一六五一)の騒ぎに、丸橋忠弥まるばしちゅうや一味の謀叛むほんを訴人して、現米三百俵、銀五十枚の御褒美をおかみから頂いた親爺おやじでございましたな」
千三屋せんみつやどの、今度は慶安けいあんをかせぎ出したな、よく小まめに働くことだ——
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「この家は慶安けいあんの春、謀叛むほんくはだてて御處刑になつた、丸橋忠彌の道場の跡だ」
銭形平次捕物控:124 唖娘 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
慶安けいあんの變に毒藥係を勤めた平見某と弟同苗兵三郎とその妹お秋、由比正雪、丸橋忠彌その他一黨の遺志を繼いで老中松平伊豆守、安部豊後守をはじめ、一味の者につらかりし人達へ怨をむく
「この家は慶安けいあんの春、謀叛むほんくわだてて処刑おしおきになった、丸橋忠弥の道場の跡だ」
銭形平次捕物控:124 唖娘 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
慶安けいあんの変に毒薬係を勤めた平見某の弟同苗兵三郎どうみょうひょうざぶろうとその妹お秋、由井正雪、丸橋忠弥その他一党の遺志を継いで老中松平伊豆守いずのかみ阿部豊後守あべぶんごのかみをはじめ、一味の者につらかりし人達へ怨みをむく