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応仁
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おうにん
ふりがな文庫
“
応仁
(
おうにん
)” の例文
その極端なのが、十一年間続いた
応仁
(
おうにん
)
の大乱
*
であつて、その大乱の余波が全国に及んで、爾後百年に亙る戦国時代となつたのである。
二千六百年史抄
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
そういう夜の不安は、
応仁
(
おうにん
)
の
乱
(
らん
)
あたりから後は、都会でも地方でも、もう当り前のことになって、誰も怪しもうとはしない。
新書太閤記:01 第一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
応仁
(
おうにん
)
乱後の京都は乱前よりも一層さびれ、公家の生活は苦しくなり、すこし大げさかもしれないが三条の大橋から御所の
燈火
(
あかり
)
が見えた時代もあったと言わるるほどである。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
応仁
(
おうにん
)
の乱か何かに
遇
(
あ
)
つた人の歌に、「
汝
(
な
)
も知るや都は野べの
夕雲雀
(
ゆふひばり
)
揚
(
あが
)
るを見ても落つる涙は」と云ふのがあります。
丸
(
まる
)
の
内
(
うち
)
の焼け跡を歩いた時にはざつとああ云ふ気がしました。
大正十二年九月一日の大震に際して
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
応仁
(
おうにん
)
の乱は細川勝元、山名宗全の両頭目の死によって一時、中央では小康を得たようなものの、
戦禍
(
せんか
)
はかえって四方へ
撒
(
ま
)
き散された形となって、今度は地方地方で
小競合
(
こぜりあ
)
いが始まりました。
鯉魚
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
▼ もっと見る
なぜなら奥書きの保存は必ずしもその本が原形のままであるということの証明にはならないからである。たとえば
応仁
(
おうにん
)
の乱の際には無数の典籍が焼かれたが、幸いに耄及愚翁本は助かったとする。
日本精神史研究
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
源平
(
げんぺい
)
、
建武
(
けんむ
)
、
応仁
(
おうにん
)
の乱とつづいて、何百年かにわたって作られて来た武器は、合戦のたび、山野にも捨てられたが、その数は、
夥
(
おびただ
)
しいものに違いなかった。
新書太閤記:01 第一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
応仁
(
おうにん
)
以後からつい室町幕府の末にいたるまで、もっと前には、
足利氏
(
あしかがし
)
、北条氏などの暴政を私した時代など、思えば、この国の曇と晴も、富士と雲とのように、繰り返され繰り返され
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
応永
(
おうえい
)
年間に、
足利
(
あしかが
)
の姓を改めた家系だともいうし、
応仁
(
おうにん
)
の大乱をうけて、この地方へ土着したのだともいわれているから——その是非はとにかく、何しろ古い家すじであることに間違いはない。
新書太閤記:01 第一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
伊勢神宮の
内宮
(
うちみや
)
は、
往古
(
いにしえ
)
から二十一年ごとに、新しゅう改造する制であったが、
応仁
(
おうにん
)
の乱以後は、そのことも
廃
(
すた
)
れて、ここも荒るるにまかせてあったを、お
汝
(
こと
)
の父信秀には、その御式の復古に
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“応仁”の意味
《固有名詞》
日本の元号の一つ。文正の次で、文明の前。1467年3月5日から1469年4月28日までの期間のこと。
(出典:Wiktionary)
応
常用漢字
小5
部首:⼼
7画
仁
常用漢字
小6
部首:⼈
4画
“応仁”で始まる語句
応仁天皇