応仁おうにん)” の例文
その極端なのが、十一年間続いた応仁おうにんの大乱であつて、その大乱の余波が全国に及んで、爾後百年に亙る戦国時代となつたのである。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
そういう夜の不安は、応仁おうにんらんあたりから後は、都会でも地方でも、もう当り前のことになって、誰も怪しもうとはしない。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
応仁おうにん乱後の京都は乱前よりも一層さびれ、公家の生活は苦しくなり、すこし大げさかもしれないが三条の大橋から御所の燈火あかりが見えた時代もあったと言わるるほどである。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
応仁おうにんの乱か何かにつた人の歌に、「も知るや都は野べの夕雲雀ゆふひばりあがるを見ても落つる涙は」と云ふのがあります。まるうちの焼け跡を歩いた時にはざつとああ云ふ気がしました。
応仁おうにんの乱は細川勝元、山名宗全の両頭目の死によって一時、中央では小康を得たようなものの、戦禍せんかはかえって四方へき散された形となって、今度は地方地方で小競合こぜりあいが始まりました。
鯉魚 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
なぜなら奥書きの保存は必ずしもその本が原形のままであるということの証明にはならないからである。たとえば応仁おうにんの乱の際には無数の典籍が焼かれたが、幸いに耄及愚翁本は助かったとする。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
源平げんぺい建武けんむ応仁おうにんの乱とつづいて、何百年かにわたって作られて来た武器は、合戦のたび、山野にも捨てられたが、その数は、おびただしいものに違いなかった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
応仁おうにん以後からつい室町幕府の末にいたるまで、もっと前には、足利氏あしかがし、北条氏などの暴政を私した時代など、思えば、この国の曇と晴も、富士と雲とのように、繰り返され繰り返され
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
応永おうえい年間に、足利あしかがの姓を改めた家系だともいうし、応仁おうにんの大乱をうけて、この地方へ土着したのだともいわれているから——その是非はとにかく、何しろ古い家すじであることに間違いはない。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
伊勢神宮の内宮うちみやは、往古いにしえから二十一年ごとに、新しゅう改造する制であったが、応仁おうにんの乱以後は、そのこともすたれて、ここも荒るるにまかせてあったを、おことの父信秀には、その御式の復古に
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)