常陸介ひたちのすけ)” の例文
王朝はすでに地方官が武力を用いてひろめはじめた時代になっていた。陸奥守むつのかみから常陸介ひたちのすけになった男の富などがそれである。
それがまた主人が常陸介ひたちのすけになっていっしょにあずまへまいりましたが、それきり消息をだれも聞かなかったのでございます。
源氏物語:51 宿り木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
……御先祖山浦常陸介ひたちのすけ様以来の家名を、踏みにじられて、それをそそがいでこうかと、健気けなげにも、念じているのじゃ
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それを知った木村常陸介ひたちのすけは、何かの用に立つこともあろうと、莫大な捨扶持を施して、ここ二三年養って置いた。
血ぬられた懐刀 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そこには留守年寄の靱負之助をはじめ、成田康長、正木丹波、舟橋内匠たくみ、新田常陸介ひたちのすけ、成田次家などの旗がしら以下、番がしら格の者たち三十余人が集っていた。
日本婦道記:笄堀 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
詔使到来を待つのころほひ、常陸介ひたちのすけ藤原維幾朝臣あそんの息男為憲、ひとへに公威を仮りて、ただ寃枉ゑんわうを好む。こゝに将門の従兵藤原玄明の愁訴により、将門其事を聞かんが為に彼国に発向せり。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
常陸介ひたちのすけ、その方はどうして遅くまいったのだ」とおっしゃると
そのうち常陸介ひたちのすけは老齢のせいか病気ばかりするようになって、前途を心細がり、悲観してしまい、息子むすこたちに空蝉のことばかりをくどく遺言していた。
源氏物語:16 関屋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「知っているとも、ずんと五右衛門承知でござる」二人の武士の中の一人の武士はこう云ってムズと坐ったが、「他でもござらぬご貴殿こそは木村常陸介ひたちのすけ殿でござろうがな」
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それはほぼ伊達氏の歴史と相伴ったもので、すなわち、右大将源頼朝うだいしょうみなもとのよりとも旗下きかであった非蔵人ひくろうど朝宗が、伊達氏の始祖であり、その二代、常陸介ひたちのすけ宗村の代に、原田家の祖、与次郎がその家臣となった。
南朝方へお味方した山浦常陸介ひたちのすけというた名だたる勤王の名将じゃぞ。
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
以前の伊予介いよのすけは院がおかくれになった翌年常陸介ひたちのすけになって任地へ下ったので、昔の帚木ははきぎもつれて行った。
源氏物語:16 関屋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「拙者は大坂の浪人者、木村常陸介ひたちのすけと申します」
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
常陸介ひたちのすけになった親の任地へも行かずに彼はこちらへ来ているのである。煩悶はんもんはしているであろうが、いつもはなやかな誇りを見せて、屈託なくふるまう青年である。
源氏物語:12 須磨 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「ご宿老の木村常陸介ひたちのすけ様が、幸蔵主殿のおいで以来、気鬱のように陰気になられた。その常陸介殿はどうかというに、智謀逞邁、誠忠無双、容易に物に動じないお方だ。そのお方が陰気になられたのだ。幸蔵主殿の聚楽参第は、単なる私用とは思われない」
血ぬられた懐刀 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)