小県ちいさがた)” の例文
牛蒡ごぼう人参にんじんなどの好い野菜を出す土地だ。滋野は北佐久きたさくの領分でなく、小県ちいさがたの傾斜にある農村で、その附近の村々から通って来る学生も多い。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
信州小県ちいさがた郡ではコロコログサ、九州の方にも肥前のイヌコロコロなどがあって、えのころ草という名のこれと同列のものであったことを思わしめる。
(およそ百数十騎の兵が、今日は、佐久高原から小県ちいさがたあたりを、何やら血眼になって、狩り捜している様子です)
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(5)村上義清(小県ちいさがた埴科はにしな、更科、水内みちの、高井諸郡、葛尾くずお城)
川中島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
土曜日に、私はこの画家を訪ねるつもりで、小諸から田中まで汽車に乗って、それから一里ばかり小県ちいさがたの傾斜を上った。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
小県ちいさがた郡の方でも、この日みずら(ささげ)の畠へは決して行かず、やはりその畠へ七夕の神が、降りて隠れてござるようにいう者があるということである。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
小県ちいさがた下和田宿しもわだじゅくに着いて、いかがわしい旅籠はたごでいかがわしい女どもを揚げ、いかがわしい酒とさかなで、昼の仲直りということになり、えいがたけなわとなるに及んでは
鳴門秘帖:03 木曾の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私は、佐久、小県ちいさがたの高い傾斜から主に谷底の方に下瞰みおろした千曲川をのみ君に語っていた。今、私達が歩いて行く地勢は、それと趣を異にした河域だ。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
神が祈願の人に霊験れいげんを示す為に、そうせられるのだといっております。(伝説叢書そうしょ。長野県小県ちいさがた郡殿城村)
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
甲軍は、大門峠を越え、小県ちいさがたから長久保へ出た。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
人参にんじんの栽培は木曾地方をはじめ、伊那、松本辺から、佐久の岩村田、小県ちいさがたの上田、水内みのち飯山いいやまあたりまでさかんに奨励され、それを尾州藩で一手いってに買い上げた。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
先ず最初に小県ちいさがた郡の豊里村では、この日早天に付近の川や池に水浴びに行くことを、オネンブリを流すといっている。七夕様の笹は夕方になって流すのだから、それとは別であるという。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
にわかに復活いきかえるように暖い雨の降る日、泉は亡くなった青年の死を弔おうとして、わざわざ小県ちいさがたの方から汽車でやって来た。その青年は、高瀬も四年手掛けた生徒だ。
岩石の間 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
信州の子供たちは、タンポポの花の白く綿になったものを手に取って、「お坊お坊あめ買いに行け」と言いつつ、ふっと吹飛ばせて楽しむということが、小山真夫氏の『小県ちいさがた民謡集』には見えている。
塾では更に教室も建増したし、教員の手もふやした。日下部くさかべといって塾のためには忠実な教員も出来たし、洋画家の泉も一週に一日か二日程ずつは小県ちいさがたの自宅の方から通って来てくれる。
岩石の間 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
信州小県ちいさがた郡の民謡集に、鬼遊びの童詞わらべことばが七章まで載っている。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
イタコン 同 小県ちいさがた郡一部