室生犀星むろふさいせい)” の例文
室生犀星むろふさいせい君はこれは——今僕の前に坐つてゐるから、甚だ相済あひすまない気がするけれども——干物ひものにして食ふより仕方がない。
食物として (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
古い朱塗しゆぬりの机の上には室生犀星むろふさいせいの詩集が一冊、仮綴かりとじペエジを開いてゐる。「われ筆とることをしとなす」——これはこの詩人の歎きばかりではない。
わが散文詩 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
古玩は前人ぜんじんの作品なり。前人の作品を愛するはかならずしも容易のわざにあらず。われは室生犀星むろふさいせいの陶器を愛するを見、その愛を共にするに一年有半を要したり。
わが家の古玩 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
もし久保田万太郎君を第三の浅草の詩人とすれば、第二の浅草の詩人もないわけではない。谷崎潤一郎たにざきじゆんいちらう君もその一人ひとりである。室生犀星むろふさいせい君もまたその一人である。
野人生計事 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
九、室生犀星むろふさいせい碓氷うすひ山上よりつらなる妙義めうぎ崔嵬さいくわいたるを望んでいはく、「妙義山めいぎさんと言ふ山は生姜しやうがに似てゐるね。」
病牀雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
僕等と同時代の作家たちの中に詩人佐藤春夫、詩人室生犀星むろふさいせい、詩人久米正雄等の諸氏を数へることは明らかに僕の説を裏書きするものである。いや、それ等の作家ばかりではない。
この文中に室生といふのはもちろん室生犀星むろふさいせい君である。硯屏はたしか十五円だつた。
身のまはり (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
大正十三年の夏、僕は室生犀星むろふさいせい軽井沢かるゐざはの小みちを歩いてゐた。山砂やまずなもしつとりと湿気を含んだ、如何いかにももの静かな夕暮だつた。僕は室生と話しながら、ふと僕等の頭の上を眺めた。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
室生犀星むろふさいせい これは何度も書いたことあれば、今更言を加へずともよし。
田端人 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
室生犀星むろふさいせい金沢かなざはに帰つたのは二月ふたつきばかり前のことである。
野人生計事 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
誰かと思つてのぞきこんで見たら、金沢かなざわにゐる室生犀星むろふさいせい
続野人生計事 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
踏石ふみいし小笹こざさをあしらつたのは、詩人室生犀星むろふさいせいの家。
続野人生計事 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)