垂仁天皇すいにんてんのう)” の例文
例の垂仁天皇すいにんてんのうのお言いつけによって、常世国とこよのくにへたちばなの実を取りに行ったあの多遅摩毛理たじまもりは、日矛ひほこの五代目の孫の一人でした。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
第十代だいじゆうだい崇神天皇すじんてんのうと、ぎの垂仁天皇すいにんてんのうころから、まへかくうしろまる前方後圓ぜんぽうこうえん立派りつぱ車塚くるまづかが、きづかれるようになつたことはうたがひありません。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
それから垂仁天皇すいにんてんのうのおいいつけで、はるかなうみわたって、常世とこよくにまでたちばなのりに行った田道間守たじまもりは、天日矛あまのひぼこには五だいめのまごでした。
赤い玉 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
とにかく埴輪はにわといふものが垂仁天皇すいにんてんのう御代前後みよぜんごからはじまつて、四五百年しごひやくねんぐらゐもつゞいたことはたしからしいのであります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
崇神天皇すじんてんのうのおあとには、お子さまの垂仁天皇すいにんてんのうがお位をおぎになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
その垂仁天皇すいにんてんのうときに、あの野見宿禰のみのすくね埴輪はにわつくつたとつたへられてゐることはまへまをしました。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)