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すいにんてんのう
例の
垂仁天皇のお言いつけによって、
常世国へたちばなの実を取りに行ったあの
多遅摩毛理は、
日矛の五代目の孫の一人でした。
第十代崇神天皇と、
次ぎの
垂仁天皇の
頃から、
前が
角で
後の
圓い
前方後圓の
立派な
車塚が、
築かれるようになつたことは
疑ひありません。
それから
垂仁天皇のおいいつけで、はるかな
海を
渡って、
常世の
国までたちばなの
実を
取りに行った
田道間守は、
天日矛には五
代めの
孫でした。
とにかく
埴輪といふものが
垂仁天皇の
御代前後から
始まつて、
四五百年ぐらゐもつゞいたことは
確らしいのであります。
崇神天皇のおあとには、お子さまの
垂仁天皇がお位をお
継ぎになりました。
その
垂仁天皇の
時に、あの
野見宿禰が
埴輪を
造つたと
傳へられてゐることは
前に
申しました。