参議さんぎ)” の例文
旧字:參議
張昺部下にして内通せる李友直りゆうちょく布政司ふせいし参議さんぎし、すなわち令を下して諭して曰く、予は太祖高皇帝の子なり、今奸臣かんしんの為に謀害せらる。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
後にその松木が寺島宗則てらしまむねのりとなって、参議さんぎとか外務卿がいむきょうとかう実際の国事に当たのは、実は本人のがらおいて商売ちがいであったと思います。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
それかあらぬか、いちばい尊氏に優遇の実をしめされ、まもなく彼を参議さんぎげられた。そして季節は中秋九月に入っていた。
(阿呼の御名に余が考あれども、文長ければこゝにはぶく) 仁明帝にんみやうていに仕へ玉ひたる文章博士もんしやうはかせ参議さんぎ是善卿これよしきやうの第三の御子、承和じやうわ十二年にうまれ玉へり。
このほかに数えあげれば、きりがないくらいで、参議さんぎ、大、中納言、三位以上の公卿十六人、殿上人三十余人、各地の地方官がざっと六十何人という盛況だった。
(阿呼の御名に余が考あれども、文長ければこゝにはぶく) 仁明帝にんみやうていに仕へ玉ひたる文章博士もんしやうはかせ参議さんぎ是善卿これよしきやうの第三の御子、承和じやうわ十二年にうまれ玉へり。
「でも、東宮ノ大夫に調べさせてみましたら、それは参議さんぎ尊氏たかうじの身よりだそうでございますよ」
京へ凱旋がいせんしてのち、七ほんやり連中れんちゅうをはじめ諸将しょしょうの下のものへまで、すべて、論功行賞ろんこうこうしょうをやったかれにはまた、朝廷ちょうていから、じゅ参議さんぎせらるという、位官いかんのお沙汰さたがくだる。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
金品ばかりでなく、彼はこのなかに、自己の気魄きはくを輸血する気をもっていた。さきに彼は、朝廷の恩命があっても拝辞はいじしたが、こんどはすすんで参議さんぎに任官し、従三位にじょせられた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのなかには、さきノ内大臣定房や参議さんぎ経季つねすえや、また近衛経忠といったような、関白家もあったので、朝廷の儀容ぎようもととのい、人材にかけては、決して、北朝の廷臣に劣るものではなかった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)