前方まえ)” の例文
気のせいかな、と前方まえ暗黒やみを見透しながら、早耳三次が二、三歩進んだ時、橋の下で、水音が一つ寒々と響き渡った。
「これ、そう顔を近づけちゃ、前方まえが見えなくて、危いじゃないですか。一緒に河の中へおっこちてしまいますよ」
棺桶の花嫁 (新字新仮名) / 海野十三(著)
太い引きずるような波鳴りの聞えるうらさびた田舎道を、小一時間も馬を進ませつづけていた私達の前方まえには、とうとう岬の、キャプテン深谷ふかや邸が見えはじめた。
死の快走船 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
すると今度は後方あとへも戻らずして前方まえへは進もうともせず岸から十間の距離をへだててただ岸姿きしなりに横へ横へとあたかも湖水を巡るかのように急速に革船は廻り出した。
沙漠の古都 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
前方まえへのめって前歯を折り奥歯で片頬を貫いた。——衣裳の洋服はたちまちあけにそまった。
春泥 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
「三つ巴の金瓦、九鬼様だ。野郎ども、近えぞ。」随う二つの黒法師、二つの頭が同時にぴょこりと前方まえへ動いた。
……その前方まえの弁護士席では、被告や女将なぞと並んで菱沼さんが、わけは判らぬながらもそれでも一生懸命に、裁判官達を向うに廻して、そのネバリ戦術を始めたんです。
あやつり裁判 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
間を置いて、そうして、規則正しく、前方まえの敵を切ったるごとく、倒す音が聞こえて来た。
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
三浦のそういうのをわらって小倉は前方まえを指した。
春泥 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
月が隠れたから、五つ半の闇黒やみ前方まえを行く駕籠をともすれば呑みそうになる。三次は足を早めた。ひやりと何か冷たいものが頬に当った。みぞれになったのである。
今にも前方まえたおれそうだ。見開かれた眼は床を見詰め、まばたき一つしようともしない。どうやら瞬きを忘れたらしい。両手を胸の上で握り合わせ、それを夢中で締めつけている。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
花の吹き込む二階で、いろは屋文次と御免安が、手に汗を握って前方まえをみつめていると——。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
直垂ひたたれの上に腹巻を着け黄金作こがねづくりの小刀を癇癪かんしゃくらしく前方まえ手挟たばさみ、鉄扇を机に突き立てた様子は、怒れば関羽かんう笑えば恵比寿えびす、正に英雄偉傑いけつの姿を充分に備えているではないか。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ハッと眼が覚めて前方まえを見ると朝陽に照らされた護謨ゴム林が壁のように立っているじゃないか! 思わず僕は飛び起きたね。そうしてみんなを揺り起こして船をその岸へ着けたものさ。
沙漠の古都 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
こういい放った泰軒は、同時にすくなからず異様な気持にうたれて前方まえをのぞいた。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
すっかり武士になりすましている弥生は、おくせず人をかきわけて前方まえへ出た。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
前方まえはドロンとした堀であった。さあ、確に鰻は居そうだ。
隠亡堀 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
不意に手をあげて、与の公、前方まえを指さした。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)