“ただよし”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
直義48.1%
忠吉11.1%
忠善11.1%
忠義11.1%
忠恕7.4%
允善3.7%
忠温3.7%
忠能3.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
おん志と違いたまい、足利の手に宮家には、お渡りあそばさるる御身おんみの上となられ、遥々鎌倉へ移らせられ、苛察かさつ冷酷の典型的悪将、尊氏の舎弟直義ただよしの手にて、二階堂ヶやつ東光寺内の
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
……そのとき、鳥居忠吉ただよしが……もう八十こえた老人じゃったが……わしの手をひいて、倉の前に導き、中を指さして、若殿……といったときの言葉は今もわすれかねる。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けんもつ忠善ただよしの次子であり、長子の造酒之助みきのすけが早世したため世継ぎとなった、二年まえ十五歳のときこの岡崎へも来て、かれらはみなめみえの杯を賜わった組である。
日本婦道記:墨丸 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
わたしは千葉の者であるが、馬琴ばきんの八犬伝でおなじみの里見の家は、義実よしざね、義なり、義みち実尭さねたか、義とよ、義たか、義ひろ、義より、義やすの九代を伝えて、十代目の忠義ただよしでほろびたのである。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
これらの事はその頃A氏の語ったところであるが、その後わたくしは武鑑ぶかんを調べて、嘉永三年頃に大久保豊後守忠恕ただよしという人が幕府の大目附になっていた事を知った。
深川の散歩 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
鉄は優善の養父矢島玄碩げんせきの二女である。玄碩、名を優繇やすしげといった。もと抽斎の優善に命じた名は允善ただよしであったのを、矢島氏を冒すに及んで、養父の優字を襲用したのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
桜井忠温ただよし氏、続いて陸軍中で才物の清水喜重氏が舎監となった、が、寄宿舎の学生も最初の頃と違って、真面目に勉強する者が少くなって、どうかすると学問より
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
鎮西奉行大友具簡ぐかんがその目標だったのである。ところが、大友はすでに見えず、この日ごろ博多附近にありとみられていた島津道鑑どうかん、大隅忠能ただよし、中原貞元らの兵も早やどこかへ引き払ッていた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)