“たかつか”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
高塚66.7%
高束33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
おほくのれいおいては古墳こふん高塚たかつか)と横穴よこあなとは、別種べつしゆかんがへられてる。よしや同所どうしよらうとも、同時代どうじだいとはかんがへられてらぬ。
さて日本人につぽんじんふるはか今日こんにちのように石碑せきひ石塔せきとうてたのではなく、たいてい土饅頭つちまんじゆうのようにたかくなつてゐるので、私共わたしどもはこれを高塚たかつかとか、古墳こふんまをしてをります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
高塚たかつかよりも横穴よこあなはうが、時代じだいおいわかいとかんがへられるので、高塚たかつか高塚たかつか或時代あるじだいきづかれ、横穴よこあな横穴よこあな其後そののちつくられると、大概たいがいかんがへられてたのであるが、それを坪井博士つぼゐはかせ
そのいしうへつちをかぶせてまる高塚たかつかとしたものがあらはれました。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
高束たかつか翁助は不眠をうれへた。榛軒はこれに薬を与へた時、翁助の妻を戒めて云つた。「是は強い薬ですから、どうぞ分量を間違へないやうにして下さい」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
「廿三日。午後雨。高束たかつかに行。お長縁談の一件御奥御都合承合うけたまはりあはせ。」棠軒の女長は当時十六歳であつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
例年の「豆日草堂集」には、其前日に高束たかつか応助と云ふものが梅花を贈つたので、それをへいに插した。「佳賓満堂供何物。独有梅花信不違。」高束応助とは誰であらうか。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)