“かんのうじ”の漢字の書き方と例文
語句割合
感応寺100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
渋江氏ではこの年感応寺かんのうじにおいて抽斎のために法要を営んだ。五百、保、矢島ゆたかくが、水木、比良野貞固さだかた、飯田良政よしまさらが来会した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
谷中やなか感応寺かんのうじ(今の天王寺てんのうじ)、湯島天神、目黒不動尊などで興行した、いわゆる天下の三富といった、格式のあるのは別として、市中に催された富興行のうちには
よる白々しらじらけそめて、上野うえのもりこいからすが、まだようやゆめからめたかめない時分じぶんはやくも感応寺かんのうじ中門前町なかもんぜんちょうは、参詣さんけいかくれての、恋知こいしおとこ雪駄せったおとにぎわいそめるが、十一けん水茶屋みずちゃや
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
墓は谷中やなか斎場の向いの横町を西へって、北側の感応寺かんのうじにある。そこへけば漁村の撰んだ墓誌銘の全文が見られるわけである。血族関係は杵屋勝久さんが姉で、保さんが弟である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
にしはな笠森かさもり感応寺かんのうじ
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
感応寺かんのうじの墓に曇華どんげ水子すいしと刻してあるのがこのむすめ法諡ほうしである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)