-
トップ
>
-
横濱
>
-
よこはま
明治十二年に
船で
横濱に
着きまして、その
頃出來てゐました
汽車で
東京へ
行く
途中、
汽車の
窓からそこら
邊の
風景を
眺めてをりました。
宗助は
横濱の
方へ
問ひ
合はせて
見やうと
思つたが、つい
番地も
町名も
聞いて
置かなかつたので、
何うする
事も
出來なかつた。
大佐等一行が
此島へ
來たのは
私より
餘程前で、
其留守中、
米國軍艦「オリンピヤ」
號が
横濱へやつて
來て、
音に
名高き、チヤーチの
熱球、
魔球が
或る一
學生は
横濱まで
行きましたが、
晩に
成つても
歸りませんから、
心配して
電報もて
其の
消息を
問ひ
合せました。
一體、
散々の
不首尾たら/″\、
前世の
業ででもあるやうで、
申すも
憚つて
控へたが、もう
默つては
居られない。たしか
横濱あたりであつたらうと
思ふ。
『
横濱に
寄らないだけ
未だ
可う
御座いますね。』
先づ、
私が
世界漫遊の
目的で、
横濱の
港を
出港した
事から、はじめ
米國に
渡り、それより
歐羅巴諸國を
遍歴した
次第。
汽車はたゞ、
曠野の
暗夜を
時々けつまづくやうに
慌しく
過ぎた。あとで、あゝ、あれが
横濱だつたのかと
思ふ
處も、
雨に
濡れしよびれた
棒杭の
如く
夜目に
映つた。
土方の
親方に
就て
聞いて
見ると、
既に
一月以上も
發掘を
續けて
居るので、
既う二三
日で
此所は
終局だ。これは
貝灰を
燒く
原料として、
横濱の
石灰製造所で
買つたのだといふ。
安井は
一先郷里の
福井へ
歸つて、
夫から
横濱へ
行く
積りだから、もし
其時には
手紙を
出して
通知をしやう、さうして
成るべくなら
一所の
汽車で
京都へ
下らう、もし
時間が
許すなら
それでも
遊撃手の
位置に
立たせたら
本國横濱のアマチユーア
倶樂部の
先生方には
負けぬ
積で
御坐る。
潮のさゝない
中川筋へ、
夥しい
鯔が
上つたと
言ふ。……
横濱では、
町の
小溝で
鰯が
掬へたと
聞く。
横濱の
西洋人に
賣れば、
一箇が
百兩にはなるんだなんて、
夢を
見て
居る
馬鹿らしさ。
「
君は
身體が
丈夫だから
結構だ」とよく
何處かに
故障の
起る
安井が
羨ましがつた。
此安井といふのは
國は
越前だが、
長く
横濱に
居たので、
言葉や
樣子は
毫も
東京ものと
異なる
點がなかつた。
「えゝ、
此の
列車では
横濱で
電報を
扱ひません、——
大船で
打ちますから。」