横濱よこはま)” の例文
新字:横浜
明治十二年めいじじゆうにねんふね横濱よこはまきまして、そのころ出來できてゐました汽車きしや東京とうきよう途中とちゆう汽車きしやまどからそこらへん風景ふうけいながめてをりました。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
宗助そうすけ横濱よこはまはうはせてやうとおもつたが、つい番地ばんち町名ちやうめいいてかなかつたので、うすること出來できなかつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
大佐等たいさら一行いつかうこのしまたのはわたくしより餘程よほどまへで、その留守中るすちう米國軍艦べいこくぐんかん「オリンピヤ」がう横濱よこはまへやつてて、おと名高なだかき、チヤーチの熱球ねつきゆう魔球まきゆう
こと發端ほつたんは、明治十三年めいじじゆうさんねん二月二十二日にがつにちじゆうににち横濱よこはまならびにその近郊きんこうおいて、煉瓦煙突れんがえんとつならび土壁どへき小破損しようはそんしようぜしめた地震ぢしんにある。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
る一學生がくせい横濱よこはままできましたが、ばんつてもかへりませんから、心配しんぱいして電報でんぱうもて消息せうそくあはせました。
女教邇言 (旧字旧仮名) / 津田梅子(著)
一體いつたい散々さん/″\不首尾ふしゆびたら/″\、前世ぜんせごふででもあるやうで、まをすもはゞかつてひかへたが、もうだまつてはられない。たしか横濱よこはまあたりであつたらうとおもふ。
雨ふり (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
大評判おほひやうばん怪窟くわいくつ※それは、東京とうきやう横濱よこはまとの中間ちうかんで、川崎かはさきからも鶴見つるみからも一らずのところである。神奈川縣橘樹郡旭村大字駒岡村かながはけんたちばなごほりあさひむらおほあざこまおかむら瓢簟山ひようたんやま東面部とうめんぶ其怪窟そのくわいくつはある。
横濱よこはまらないだけ御座ございますね。』
湯ヶ原ゆき (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
づ、わたくし世界せかい漫遊まんゆう目的もくてきで、横濱よこはまみなと出港ふなでしたことから、はじめ米國ベイこくわたり、それより歐羅巴エウロツパ諸國しよこく遍歴へんれきした次第しだい
汽車きしやはたゞ、曠野あらの暗夜やみ時々とき/″\けつまづくやうにあわたゞしくぎた。あとで、あゝ、あれが横濱よこはまだつたのかとおもところも、あめれしよびれた棒杭ぼうぐひごと夜目よめうつつた。
雨ふり (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
土方どかた親方おやかたついいてると、すで一月以上ひとつきいじやう發掘はつくつつゞけてるので、う二三にち此所こゝ終局しうきよくだ。これは貝灰かひばい原料げんれうとして、横濱よこはま石灰製造所いしばいせいざうしよつたのだといふ。
安井やすゐ一先ひとまづ郷里きやうり福井ふくゐかへつて、それから横濱よこはまつもりだから、もし其時そのときには手紙てがみして通知つうちをしやう、さうしてるべくなら一所いつしよ汽車きしや京都きやうとくだらう、もし時間じかんゆるすなら
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
それでも遊撃手シヨルトストツプ位置ゐちたせたら本國ほんごく横濱よこはまのアマチユーア倶樂部くらぶ先生せんせいがたにはけぬつもり御坐ござる。
しほのさゝない中川筋なかがはすぢへ、おびたゞしいぼらあがつたとふ。……横濱よこはまでは、まち小溝こみぞいわしすくへたとく。
間引菜 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
横濱よこはま西洋人せいやうじんれば、一箇ひとつ百兩ひやくれうにはなるんだなんて、ゆめ馬鹿ばからしさ。
きみ身體からだ丈夫ぢやうぶだから結構けつこうだ」とよく何處どこかに故障こしやうおこ安井やすゐうらやましがつた。この安井やすゐといふのはくに越前ゑちぜんだが、なが横濱よこはまたので、言葉ことば樣子やうすがう東京とうきやうものとことなるてんがなかつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
「えゝ、列車れつしやでは横濱よこはま電報でんぱうあつかひません、——大船おほふなちますから。」
大阪まで (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)