タマ)” の例文
たまふ(目上から)に対するこふ・いはふに近いこむ(籠む)などは、其原義の、生きみタマ分裂フユの信仰に関係ある事を見せてゐる。
椿の杖を持つて来て、タマふりをした為に、海石榴市と称せられたのであらうと思ふ。豊後風土記を見ると、海石榴市の説明はよく訣る。
花の話 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
ほんの苗木ぢやつたカヘが、此ほどの森になつたものな。コハかつたぞよ。此墓のみタマが、河内安宿部アスカベから石ちに來て居た男に、憑いた時はなう。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫釈迢空(著)
ほんの苗木ぢやつたカヘが、此ほどの森になつたものな。コハかつたぞよ。此墓のみタマが、河内安宿部アスカベから石ちに來て居た男に、憑いた時はなう。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
ほんの苗木ぢやつたカヘが、コレほどの森になつたものな。コハかつたぞよ。此墓のみタマが、河内安宿部アスカベから石ちに来て居た男に、いた時はなう。
死者の書 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
此をタマふりと言ひ、その儀式が厳冬に行はれる。魂ふりはまなを内部に附加して了ふ事であるが、支那の鎮魂は内の魂を出さない様にする事である。
花の話 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
もう/\、輕はずみな咒術オコナヒは思ひとまることにしよう。かうして、タマ游離アクガれ出た處の近くにさへ居れば、やがては、元のお身になり戻り遊されることだらう。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
もう/\、軽はずみな咒術オコナヒは思ひとまることにしよう。かうして、タマ游離アクガれ出た処の近くにさへ居れば、やがては、元のお身になり戻りアソバされることだらう。
死者の書 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
もう/\、輕はずみな咒術オコナヒは、思ひとまることにしよう。かうして、タマ游離アクガれ出た處の近くにさへ居れば、やがては、元のお身になり戻り遊されることだらう。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫釈迢空(著)
やはり、郎女のタマがあくがれ出て、心が空しくなつて居るもの、と單純に考へて居る。ある女は、魂ごひの爲に、山尋ねの咒術オコナヒをして見たらどうだらう、と言つた。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫釈迢空(著)
やはり、郎女のタマがあくがれ出て、心が空しくなつて居るもの、と單純に考へて居る。ある女は、魂ごひの爲に、山尋ねの咒術オコナヒをして見たらどうだらう、と言つた。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
やはり、郎女のタマがあくがれ出て、心が空しくなつて居るもの、と単純に考へて居る。ある女は、魂ごひの為に、山尋ねの咒術オコナヒをして見たらどうだらう、と言つた。
死者の書 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
ふゆはタマふゆの意から出て居るとするのが、私の考へでもあります。ずつと古代には、春祭りと刈り上げ祭りとは、前夜から翌朝までの行儀でした。其中間に、今一つあつたのが冬祭りです。
又、タマの内在するものと信じられたタマ(—石・—貝・—金・—骨など)の相触るゝ音も、やはり此意味からいみじき音色のやうに讃美せられて来たのである。あそびについては尚言ふ機会はある。
美豆ミヅ山の 青垣山の神樹葉サカキバの 茂みが奥に、吾タマこもる
橘曙覧評伝 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
肝冷す腰の白蛇 吾がタマはうづみ鎮めつ。山松の根に
橘曙覧評伝 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
吾がタマはうづみ鎮めつ。山松の根に※
橘曙覧評伝 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)