鎌足かまたり)” の例文
鎌足かまたりは、天智天皇の仰せに依つて法令を制定した。近江令あふみりやうであり、文武もんむ天皇の御代に出来た大宝律令の根本を成すものである。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
王女は額田王の御姉に当る人で、はじめ天智天皇に寵せられ、のち藤原鎌足かまたりの正室になった人だから、恐らく此時近江の京に住んでいたのであろう。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
遠く天児屋根あめのこやねみことにあり、命の二十二代は大織冠たいしょくかん藤原の鎌足かまたり公、それより十六代の後胤こういんである伊達遠江守蔵人とおとうみのかみくろうどは従五位下常陸介朝宗ひたちのすけともむねどのに出づるこの——
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
古来英雄と称するものは大抵たいてい奸雄かんゆう梟雄きょうゆう、悪雄の類である、ぼくはこれらの英雄を憎む、それと同時に鎌足かまたりのごとき、楠公なんこうのごとき、孔子こうしのごとき、キリストのごとき
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
この九十年間には蘇我入鹿そがのいるかの専断と横死あり、ついで中大兄皇子なかのおおえのおうじ鎌足かまたりによる大化改新の断行、わが国礎の漸く定ると思われた間もなく、壬申じんしんの大乱が起るといったように
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
エミの押勝おしかつになり、諸兄もろえになり、不比等ふひとになり、鎌足かまたりになり、だんだん昔へさかのぼりすぎて、どうも、私は、何をやつても、過ぎたるは及ばず、といふ自然の結果になつてしまふ。
さらに新人のゆうなるものは、道昭、智通、定慧じょうえなどの僧侶である。道昭は古い帰化人のすえであり、定慧は鎌足かまたりの子であるが、共に唐に入って玄弉三蔵げんじょうさんぞうに学び、当時の世界文化の絶頂をきわめて来た。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
エミの押勝おしかつになり、諸兄もろえになり、不比等ふひとになり、鎌足かまたりになり、だんだん昔へさかのぼりすぎて、どうも、私は、何をやっても、過ぎたるは及ばず、という自然の結果になってしまう。
後に藤原鎌足かまたり嫡妻ちゃくさいとなられた方とおもわれるが、この御製歌はそれ以前のものであろうか、それとも鎌足薨去(天智八年)の後、王女が大和に帰っていたのに贈りたもうた歌であろうか。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)