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還御
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かんぎょ
ふりがな文庫
“
還御
(
かんぎょ
)” の例文
それには
小倉表
(
こくらおもて
)
に
碇泊
(
ていはく
)
する幕府の軍艦をもって江戸へ
還御
(
かんぎょ
)
のことに決するがいい、当節天下の人心は薄い氷を踏むようなおりからである
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
行在
(
あんざい
)
に止まらんとすれば「
還御
(
かんぎょ
)
」と言い、起居眠食、みな百姓の思いのままにて、金衣玉食を廃して麦飯を進むるなどのことに至らば如何。
学問のすすめ
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
タラタラと居並んだは無数の家臣、喜色が
面
(
おもて
)
に現われている。お館様の
還御
(
かんぎょ
)
である、こいつは喜ばないではいられないだろう。
任侠二刀流
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
あくる日はまた、上皇の
御幸
(
みゆき
)
で、式事すべて、前日のごとく、
便殿
(
べんでん
)
で上皇から尊氏兄弟へ、親しく
賜酒
(
ししゅ
)
のことがあり、夜に入って、
還御
(
かんぎょ
)
になった。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
茅場
(
かやば
)
町お旅所にて
奉幣
(
ほうへい
)
のことあり、それより日本橋通町すじ、姫御門を抜けて霞ヶ関お山に
還御
(
かんぎょ
)
也。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
▼ もっと見る
後醍醐
(
ごだいご
)
天皇は
隠岐国
(
おきのくに
)
から山陽道に出でたまい、かくて兵庫へ
還御
(
かんぎょ
)
ならせられました。
幕末維新懐古談:68 楠公銅像の事
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
国王の
還御
(
かんぎょ
)
その派出所とビールガンジの間は
僅
(
わず
)
かに一哩余りしかないものですから、十一時半頃にビールガンジに着きまして、病院の向うの方に在る小さな家を貸してくれたから
チベット旅行記
(新字新仮名)
/
河口慧海
(著)
天皇はそれからご
還御
(
かんぎょ
)
の後、さきの
老婆
(
ろうば
)
をおめしのぼせになりまして
古事記物語
(新字新仮名)
/
鈴木三重吉
(著)
昨年三月より七月へかけ、
公方様
(
くぼうさま
)
の
還御
(
かんぎょ
)
にあたりまして、木曾街道の方にも諸家様のおびただしい御通行がございました。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
桟敷
(
さじき
)
の公卿百官から武臣たちも、すべて天皇、准后、東宮のほうへ起立の
拝
(
はい
)
をみせていた。
還御
(
かんぎょ
)
の太鼓のうちにである。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
過ぐる年の十月十三日に旧江戸城にお着きになった新帝にもいったん京都の方へ
還御
(
かんぎょ
)
あらせられたと聞く。
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
これはいずれ
生麦
(
なまむぎ
)
償金授与の事情を朝廷に
弁疏
(
べんそ
)
するためであろうという。この仙台の家中の話で、半蔵は将軍
還御
(
かんぎょ
)
の日ももはやそんなに遠くないことを感知した。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
“還御”の解説
還御(かんぎょ)とは、天皇・上皇などの貴人が外出先から居所に帰還することを言う。
本来は天皇・上皇に限定された意味で用いられていたが、後には三后・摂関・将軍などの貴人にも拡大されて広く用いられるようになった。これに対して天皇の還御は特に還幸(かんこう)と呼ばれるようになった。
(出典:Wikipedia)
還
常用漢字
中学
部首:⾡
16画
御
常用漢字
中学
部首:⼻
12画
“還”で始まる語句
還
還俗
還幸
還暦
還元
還城楽
還相
還魂
還来
還俗僧