車副くるまぞい)” の例文
のみならず、師直や道誉とならんで、洛中の三婆娑羅ばさらといわれていた男だけに、かえって、車副くるまぞいの人々へ、こう威たけ高に呶喝どかつした。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
左にうつしし画にてそのつくり様を見たもうべし(第四図イ)、『鹿苑院殿御元服記ろくおんいんどのごげんぷくき』永和元年三月の条、〈御車新造、東寺より御輿、御力者十三人、牛飼五人、雑色ぞうしき九人、車副くるまぞい釜取以下〉とあるは
たえず車副くるまぞいのかたちで、帝のお近くにいた佐々木道誉は、すぐ馬をかえして、同役の千葉ちばすけ貞胤さだたね、小山秀朝らにはかり、それの配置を作った。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
車副くるまぞいの侍から、牛飼うしかいわっぱまで、みな気が立っているのである。そしてみな戦勝のおごりに酔っているのでもある。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
殿ノ法印は、そのためややおくれてあとから車副くるまぞいに追ッついた。先駆と車副の十数人は騎馬なのである。
牛童うしわらべ装束筥しょうぞくばこをになった供のほかは、車副くるまぞいも先駆もすべて、よろいに身をかためた騎馬武者だった。
「いや、車副くるまぞいの三十余騎、徒士かち百余人、いずれも日ごろ見る足利党の者どものよしで」
上達部かんだちべなどが車副くるまぞいして出門された、という一事だけを、くり返すばかりだった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
山名時氏がはなやかによろった五百余騎で行き、尊氏は、八ようの車のすだれを高くかかげて、大納言の衣冠で坐し、車副くるまぞいの勇士十六人にかこまれ、以下、二番、三番、七番と二列縦隊でつづき
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)