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蝉丸
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せみまる
ふりがな文庫
“
蝉丸
(
せみまる
)” の例文
四宮河原
(
しのみやがわら
)
を過ぎれば、
蝉丸
(
せみまる
)
の歌に想いをはせ、
勢多
(
せた
)
の
唐橋
(
からはし
)
、
野路
(
のじ
)
の
里
(
さと
)
を過ぎれば、既に志賀、琵琶湖にも、再び春が訪れていた。
現代語訳 平家物語:10 第十巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
一昨年差上げ候
蝉丸
(
せみまる
)
の拙作韻脚の処書損じ仕り候まゝ差上げ申候。
迹
(
あと
)
にて気付き疎漏の
至
(
いたり
)
に候。後便
認
(
したた
)
め直し差上げ可く候。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
日ごろは
琵琶
(
びわ
)
の祖神
蝉丸
(
せみまる
)
像の
幅
(
ふく
)
が見える板かべの
床
(
とこ
)
には、それが
外
(
はず
)
されて、
稚拙
(
ちせつ
)
な地蔵菩薩像の
幅
(
ふく
)
がかけられ、下には一
基
(
き
)
の
位牌
(
いはい
)
がおかれていた。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
外
(
ほか
)
じゃない、さる大々名から、新年の大香合せに使うために拝借した
蝉丸
(
せみまる
)
の香炉、至って小さいものだが、これが稀代の名器で、
翡翠
(
ひすい
)
のような美しい青磁だ。
銭形平次捕物控:060 蝉丸の香炉
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
席上にはその頃まだ大学の生徒であった今の博士寺田寅彦君もいた。謡ったのは確か「
蝉丸
(
せみまる
)
」であった。漱石氏は熊本で加賀宝生を謡う人に何番か稽古したということであった。
漱石氏と私
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
▼ もっと見る
蝉丸
(
せみまる
)
の
法師姿
(
ほうしすがた
)
を描いて、上に「これやこの行くも帰るも分れては……」が
認
(
したた
)
めてある。
ぐうたら道中記
(新字新仮名)
/
佐々木邦
(著)
古い伝えは
延喜
(
えんぎ
)
の昔に。あのや
蝉丸
(
せみまる
)
、
逆髪
(
さかがみ
)
様が。何の因果か二人も揃うて。
盲人
(
めくら
)
と狂女のあられぬ姿じゃ。父の
御門
(
みかど
)
に棄てられ給い。花の都をあとはるばると。知らぬ憂目に
逢坂
(
おうさか
)
山の。
ドグラ・マグラ
(新字新仮名)
/
夢野久作
(著)
「
蝉丸
(
せみまる
)
の
香爐
(
かうろ
)
は此家から出た樣子はありません。無くなつてまだ半日も經たないんだから」
銭形平次捕物控:060 蝉丸の香爐
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
「ただ今申しました藤原貞敏
卿
(
きょう
)
や宇多源氏の祖
敦実親王
(
あつざねしんのう
)
、また親王の
雑色
(
ぞうしき
)
で名だかい
蝉丸
(
せみまる
)
」
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「親分、飛んだ騷ぎをさせて濟まなかつたが、この通り
蝉丸
(
せみまる
)
の香爐は返つて來ましたよ」
銭形平次捕物控:060 蝉丸の香爐
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
近ごろ
蝉丸
(
せみまる
)
の再生とみんなが評判している琵琶の上手、みすみす惜しいことを遊ばしたと、皆していうものですから、……もの珍らな東宮のご童心が、俄に、覚一を召せ、覚一を呼んで……と
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
外ぢやない、さる大々名から、新年の
大香合
(
だいかうあは
)
せに使ふ爲に拜借した
蝉丸
(
せみまる
)
の
香爐
(
かうろ
)
、至つて小さいものだが、これが稀代の名器で、
翡翠
(
ひすゐ
)
のやうな美しい
青磁
(
せいじ
)
だ。それが、昨夜私の家の奧座敷から紛失した。
銭形平次捕物控:060 蝉丸の香爐
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
“蝉丸”の解説
蝉丸(せみまる)は、平安時代前期の歌人。古くは「せみまろ」とも読む。
(出典:Wikipedia)
蝉
漢検準1級
部首:⾍
15画
丸
常用漢字
小2
部首:⼂
3画
“蝉丸”で始まる語句
蝉丸神社
蝉丸流
蝉丸道士