禅那ぜんな)” の例文
みずから壇の燈明とうみょうをとぼし、こうねんじ、経文一巻をよみあげる。そのあとも、氷のようなゆかの冷えもわすれきって禅那ぜんなの黙想をつづけるのだった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
茶の会に関する種々の閑談やら感想やらを媒介として人道を語り老荘ろうそう禅那ぜんなとを説き、ひいては芸術の鑑賞にも及んだもので、バターの国土の民をして
茶の本:01 はしがき (新字新仮名) / 岡倉由三郎(著)
禅は梵語ぼんご禅那ぜんな(Dhyana)から出た名であってその意味は静慮じょうりょである。精進しょうじん静慮することによって、自性了解じしょうりょうげの極致に達することができると禅は主張する。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
諸仏諸祖は必ずしも禅那ぜんなをもって証道したのではない、禅那は諸行の一つに過ぎぬ、禅那は仏法の総要ではない、仏々正伝の大道をことさら禅宗と称するともがらは仏道を知らないのである。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
此所は大日流布だいにちるふの大師の生れさせ給ひたる地にも近く、何と無く心とゞまりて如斯かく草庵を引きむすび、称名しようみやうの声のうちには散乱の意を摂し、禅那ぜんなの行のひまには吟咏のおもひに耽り悠〻自ら楽むに
二日物語 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
南都の碩学せきがくにもつき、自身苦行もいたして、禅那ぜんなゆかに、求法ぐほうの涙をながしたものでござりましたが、ちょうど、御房ぐらいな年ごろでござった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
われら僧侶の者が、三十年四十年と、禅那ぜんなの床に、苦行をするのも、自力聖道じりきしょうどうの教にすがって、禁慾と闘うのも、申さば、今の各〻のような心境に立ち至りたいことが目標なのでござる。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)